あの満月の夜の邂逅から、ほぼ毎日のように男はレーテの下へやって来た。
最初の頃は少しばかり警戒していたレーテも、男が持ってくる物珍しい品々に
心奪われ、知らない異国の話に胸をときめかせる内、気が付けば二人の逢瀬は
二週間にも及んでいた。

「今晩はラプンツェル。ご機嫌いかが?」

男は必ずこの挨拶と共に姿を現した。レーテがいくら気を張っていても、ふと
気が付くと男は既に部屋の中に立っている。一度テラスを閉め切ってみようか
とも思ったが、結局レーテにそれを実行することは出来なかった。

時の止まった塔の中、白と黒で構成されたレーテの世界で、あの男だけが生きた色
を持って存在していた。


(水妖の血を引く私。この冷たい水の様な身体にも、あの男が触れたときだけ、
 温かい血が流れる様な気がした)



「――どうしたのラプンツェル。この話は退屈?」

自分の、死者の様に冷たく真白い手を見つめていると、レーテの頬に温かい男の
手が添えられた。そしてそっと仰ぐように覗き込まれる。

「そんなことは無い。あなたの話はいつも面白いよ」

父にもされた事のない、男の膝に座って後ろから抱かれながら本を読む。頭を
預けた胸から直接響いてくる男の声に、レーテが飽きることなど無かった。
今、男に読み聞かせて貰っている話も、全てがレーテには好ましかった。

「・・・そうだ、前に言っていたお祭りの話が聞きたい」

「お祭り? ああ、春と秋の収穫祭のこと?」

「そう」

その中でも一番レーテが楽しかったのは、街で暮らす人々の様子を聞く事だっ
た。特に、春と秋になると、農業国では豊穣を感謝するお祭りが行われる。知
識としては知っていても、その具体的な内容はレーテの心を惹きつけてやまな
かった。

「そうだね、春の収穫祭だとね、色とりどりの花で街が溢れかえるんだ。
 そして配られる花輪を首にかけて、皆が輪になってダンスをする。その花輪を
 交換して一緒に踊った恋人同士は、幸せな結婚が出来るんだよ」

「・・・花が溢れる・・・」

鉱物で成り立つこの国は、短い夏を迎えてもなお雪が残る。レーテには、色に
溢れた花々を想像することは出来なかった。

「秋の収穫祭では木の実でお守りが作られるんだ。それを大切な人に贈って、
 健康に長生き出来るようにって。でも一番いいのはね、美味しいお酒がタダ
 で大盤振る舞いされるんだよ〜」

男はその味を思い出すかの様にホウッと溜息を吐いた。そんな男の様子に、何
故だかレーテの心臓はひんやりと冷えた気がする。その曖昧な感覚が嫌で、レ
ーテは温かい男の胸に頬を当てて、男の胸元をぎゅっと掴んだ。

「どうしたの?」

擦り寄るレーテに不思議そうな声で問いかけた男は、ふとレーテの顔を覗き込
んで呟いた。

「――あれ、君の瞳って灰色だと思ってたんだけど、ちょっとだけ琥珀がかっ
 てるんだね」

その言葉にレーテはびくりと震えた。そういえば明日で丁度半月、毒の効力が
衰える頃だ。盲目の間は、レーテの瞳は翳った灰色になる。それが少しずつ
少しずつ、元の金色に戻っていくのだ。

「・・・そうなのかな。私には判らない」

「あはは、そうだよね。不思議ですごく綺麗な色だよ」

レーテは震えそうになる声を必死に抑えて、何でも無いように応えた。
人間には現れることの無い金色の瞳、それをこの男に知られるかもしれないと
考えると、レーテは突き落とされる様な恐怖を感じた。

それに明日、明日だけはこの男と会うわけにはいかなかった。突然訪れた目ま
ぐるしく鮮やかな日々に、すっかり忘れてしまっていた。

明日は、レーテの母の命日だった。


一年に一度、父がこの塔にやって来る日だった。



また震えそうになる唇を強く噛み締めて、レーテはそっと男を振り仰いだ。男
もレーテの顔を見下ろしたのか、気遣わしげな声が落ちてくる。

「・・・なんだか様子がおかしいと思ったら、やっぱり具合が悪かったんだね。
 こんなに顔色が真っ青だ」

丁寧な仕草でレーテを抱き上げ、ゆっくりと寝台に寝かしつける。

「ごめんね、もっと早くに気が付かなくて。俺は不甲斐ない王子様だ」

そう言って、頬を擦ってくる温かな手の平に、レーテは瞳が溶ける様に熱く
なった気がして、ぐっと閉じる瞼に力を込めた。

「・・・・明日は、きっと乳母が一晩中看病してくれると思う。だから王子様は、
 明日は決して、ここに来てはいけないよ」


(―――生まれて初めてつく嘘が、この男にとは!)


堪え切れなかった涙が、閉じた瞳からぽろりと零れる。
それを見た男は慌てて指先で涙を拭った。

「わわっ、そんなに辛いの?! どうしよう、どこが痛い? ああ、そんなに
 泣かないで、俺のラプンツェル・・・」

なんて優しいレーテの王子様。その優しい指先に、どんどん涙が溢れてくる。
男はますます困ったように頬を撫でると、痛々しく濡れる目元を唇で柔らかく拭った。

「今日はもう休んだほうが良いね」

最後に軽くレーテのおなかをポンと叩くと、男は体を起こそうとした。それを
察して、レーテは思わず男の体に強くしがみついてしまう。驚いた男が浮いた
背中を支えても、レーテは力を緩めることが出来なかった。

「ラプンツェル、どうしたの?」

男の問いかけにも何も言葉を発することが出来ない。ただ男の肩に顔を埋めて、
心の中で何度も何度も謝り続けた。



(――ああ優しい王子様、私は嘘吐きなラプンツェル、汚らわしいラプンツェルだ。
 御伽噺の姫君で無く、まるで本物の魔物の様に!)



しゃくり上げるだけのレーテの様子に、しばらく黙っていた男は寝台に腰掛け
ると、向かい合うようにレーテを膝の上に座らせた。

「――大丈夫。大丈夫だよ、俺の可愛いラプンツェル。なんにも怖いことはない。
 俺がずっと、君を守るよ」

しがみ付くレーテの背中をゆっくりと撫でながら、歌うようにレーテを宥める。
レーテの胸に滲むようなその声が、だんだんとレーテの強張りを解いていった。
それを察した男は、レーテの両頬に手をあてると、促されるように見上げた
レーテの唇に、そっと唇を落とした。

「――っ」

だんだんと深くなる口付けに、レーテの体から完全に力が抜けていく。腰に回
された男の腕で、のけぞるように喘いだレーテの瞳に、一瞬だけ男の瞳が見え
た気がした。

そして霞がかる意識の中、唇と触れ合う程近く囁かれた言葉を最後に、レーテ
の意識はふつりと途切れた。




「愛してるよ、俺の可愛いラプンツェル。

 ――おまえは俺のものだ」







前編< >後編