第四十四話


いやあの、何かマジで取るものも取りあえず追いかけているけど、「何で追いか
けているの?」と自問してみると「つい咄嗟に」としか答えようの無い辺り俺
の無謀さが露になっていますね。

これまた咄嗟に拾い上げてしまった籠からは未だほの温かいぬくもりが腕に伝
わり、あえて捻り出すとしたら「忘れ物を届けに」と答えるしかない。
しかし滅多にあてにならない俺のシックスセンスがこう訴えかけているのだ。

あの少年、何か知ってるぜ、と。

そうだ、俺は俺の疑問に答えを出すために走る。
ついでに可愛い妹の贈り物を少年に届けるためにも走る。
そして俺から逃げた理由を教えて貰おう。


――・・・ユーシン・セタ、くん?

―――僕は―――


――あの男との、関係も。



「っは、ハハハッ、だから待てそこの赤ぁぁあああッ!」

「っッ?!!」

思わぬところから光が差し込んできたぜー!という笑い混じりの荒い息で近づ
いくと、ぎょっとした顔で振り向いた少年は更に顔を引き攣らせた。その隙を見
逃さずに走るスピードを速めると、今度はまぎれもなく凶悪な笑いが表に出た
のか少年は素晴らしい身のこなしで建物の角を曲がり去った。

「逃がすかぁっ!」

「―――!!」

距離は縮まるどころか微妙に開いているような気もするが、何かもう当初の目
的を離れとにかくコイツ捕まえてぇという一念のみで足を動かす。籠が邪魔で
邪魔で仕方ないが投げ捨てないだけの理性は残し、脇腹が痛いとか腕がダルい
とかそんなことは当の昔に通り過ぎていた。アレ、もしかしてこれがランナー
ズハイ?


「ハァッ、ハァッ、ハッ、ちきしょ、」

しかしやはり俺のハンデは大き過ぎたらしく、脇に抱えた籠がずり落ちそうに
なる度に引き離されていく。これが十代と二十代との違いなのか、少年の足は
止まることがない。いや俺もまだまだ若いけど。若いけど。


そして籠に被せられていた布が大きく捲くれ上がり中身が飛び出そうになった
瞬間、咄嗟に足を止めた俺は激しく咳き込み、その間に少年の姿を完全に見失っ
てしまった。


「――ゲホッげほッ、はぁ、はぁ、ゥェッ」

――死ぬ、と霞む視界で震える太ももを押さえ、近くの壁に体を寄りかからせ
る。嫌な感じに苔むした壁は触り心地最悪だったが、今はただ俺を支えてくれ
るだけで最高の存在だった。

やがて貧血のように明度の下がっていた視界は戻り、汗も引き始めた体はぶる
りと大きく震えて俺に座れと命令してくる。久しぶりに酷使した肺と喉はまる
で擦り切れたように血の味を感じ、俺は何度も唾液を飲み下して心臓の上を撫
でた。籠の中身はもう冷たい。風に晒され続け硬くなったパンと端が少しかけ
てしまったケーキには申し訳ない気持ちがあふれてきたが、赤頭巾ちゃんとは
違ってワインは無しか・・・と更に失礼な落胆を覚えながら丁寧に布で包み直し
た。布には優しいベージュに似合いの赤で花の刺繍が施されている。

「・・・・そして此処はどこですか、と・・・・」

ほんの少し綻んだ感のあるそれはきっとルチェの手縫いの品で、和む心は厳し
い現実を一時忘れさせてくれたが変えることは出来ない。

緩めていた襟元からは寒風が滑り込み、伸びた影は屋敷を出てから随分時が経
過したことを俺に教えてくれる。高級住宅地とは到底思えない頭上を踊る洗濯
物たちは離れた距離を、人影も見当たらない。それらに溜息をついた俺は襟を
キッチリ締め直して籠を抱えると、いざ問題解決への一歩を踏み出した。


俺は、方向音痴では、ない。




「――なんて自己暗示かけても無駄無駄無駄無駄ァ」

只でさえ馴染みの薄い西洋建築で方向感覚なんぞ養えるかアホめが。

と己の不出来を棚に上げ、ひたすら周囲への悪態をつき続ける俺。

責任転嫁は得意です。自己弁護も大好きです。しかし今は自分の非を認めたく
なくて毒を吐いてるんじゃありません。

例えるなら今の俺はサボテン。いや臨戦態勢のハリネズミ。

今、弱みを見せたら、やられる。

「・・・・・・・・・・・・」

・・・だってなんかここあからさまに空気悪いよ?

もう日も傾きだした薄暗い路地の中、道幅は徐々に狭まるうえどんどん造りも
入り組んでいくダンジョン仕様。外気に冷やされた灰色の石畳は冷たく濡れて、
俺の革靴の音を響かせている。時折すれ違う人々は一様に俺を注視し、挙句座
り込んでいたおっさんにズボンの裾を掴みかけられ慌てて足を速めた。

俺、あからさまに場違い。

いや、俺だって以前の格好で歩いていたならこんなに浮くことは無かっただろ
う。森の野良仕事でくたびれた麻の上着に色褪せてちょっとほつれた茶色のズ
ボン、白いシャツ。それに簡素な作りの布の靴はここまで音を響かせない。

足に負担のかからないよう丁寧に仕上げられた革靴は、どんなに足音を殺そう
としてもコツコツと心地よい音を立てて俺の脚を支えてくれる。冬支度に厚く
縫われた毛織の服は、上下揃いの濃い緑色で初冬の風から俺を守ってくれる。
あまつさえ袖や襟口は肌触りの良いよう同色の絹で縁取られ、目立たない程度
に黒い絹糸で刺繍まで施されていた。いわんや中身おや。いやあ、シルクのシ
ャツってこんなに気持ちのいいものなんですね。

つまり今の俺はこんな裏路地には似合わない良いトコのお坊ちゃんスタイルだ
ということです。

ゼート、イバンさん、それにイバンさんの奥さん、貴方達の心配りはこの場で
は裏目に出てしまったみたいですよ・・・と改めて己の無謀さに空笑いを浮かべ、
心許ない自分を誤魔化すように籠をぎゅっと抱き締める。そんな心境そのまま
に俯きがちに歩を進めていると、ゴチャゴチャしていた路地の雰囲気が妙に浮
ついてきたことに気が付いた。さっきまで俺を注視していた通行人はどこか忙
しない様子で脇を通り抜けて行き、庶民っぽい服装に混じって派手な色合いの
服もちらほら見え始める。かといって俺が目立たなくなったのかといえばそう
でも無いようで、むしろその中で俺を眺め続ける人間の不穏度は増していた。

「・・・・・・・・・・・」

・・・うおおおお、こええええ、と内心ビビりまくり、南無妙法蓮華経南無阿弥陀仏、
爺さんお袋俺を守ってと呟き続ける。

そのうちのどれが効いたのかは判らないが、やがて路地の先から人々のざわめ
きが聞こえてきた。

「・・・助かった・・・」

もう既に周囲は真っ暗、長時間歩き続けた俺の体は「早く休ませてくれ」と死
にそうな声で訴えている。

しかしようやく見えてきた待望の出口にすっかり心奪われていた俺は、背後の
気配に全く気が付かなかった。

「――ッヒ?!」

ちらつく灯りに目を奪われていた俺の腕を、突然ガシッとつかむ誰か。

「――――!!」

驚きの余り落としかけた籠を反射的に強く抱き締めて、あ、ケーキ潰れる、と
頭のどこかで思いながら、俺はぐるんと首を回して目を見開いた。

「・・・・・・・な、なんで・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・」

闇に沈んだ暗い赤の、バンダナで頭を包み込んだその少年は。

「・・・・・・ライ、チェ?」

掴んでいた俺の腕をゆっくりと離し、少年は苦々しい表情で俺を見上げた。










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