第四十話




「・・・・・・・・・・・・・・・へ?」

間抜けな声が漏れ出たが、ゼートの瞳が緩むことは無い。
あれ、今どういう状況? と脳内一斉会議が設けられた所で、記憶を司る海馬が
壊れたように先ほどの台詞を繰り返し会場は大混乱に陥った。

いやいや待ちたまえよ諸君。ここは一つ冷静に考えてみようじゃないか。俺と
ゼートの関係はなんだ、恋人か? え? 違うだろ? なら別にそんなやましい意
味があるワケないじゃないか。これはきっとそう美しい友愛による惜別の念が
こんな台詞を吐かせたんだ、きっとそうだそうに違いないこれ決定。

賛成賛成賛成、と満場一致で可決かと思われたこの意見、ただ一箇所だけが押
し潰した。


心臓が痛い。


「―――ハ、ハハ、そうだよなあ。こっから森まで遠いもんなあ。もう滅多に
 会えなくなっちゃうもんなあ」

はははは、とワザとらしく笑い、眉の寄せられたゼートの顔から視線をそらす。

そりゃー寂しいな、と小さく呟いてみて、つんとした鼻に自分で驚いた。

「・・・・でもさぁ・・・・」

ゼートの腕の中から抜け出そうとし、逆に締め付けられた腕にふと口が歪む。
俺を強く捉える青い瞳にまた頬が歪んで、誤魔化すように袖を引いた。

「・・・俺はさ、あの森にいなきゃ駄目なんだよ。ずっと、爺さんの傍に居てやり
 たいんだよ」

爺さんの墓を守りたいんだよ。

「爺さんを独りになんてしたくないんだよ」

せめて、それだけでも。

「・・・待ってるんだ」

きっと爺さんも。そしてマーノも。

「・・・待ってる・・・」

俺がどんな顔でそれを言ったのかは判らないけど、それを聞いたゼートの瞳は
これ以上無く歪んだ。何か言おうとしたのかもしれないけど、その前に緩んだ
腕からひょいと抜け出す。

落ちたペンを拾おうとして、伸ばした手を握り取られた。

「・・・・・待っている、と言ったが」

一歩踏み出され、無意識に後退る。

「それは、」

がたり、と踵が鳴った。


「――戻る家を失くしても、言えることか?」


その言葉と共に見据えられて、身体が跳ねた。


「・・・・・・な、に言ってんのさゼート、失くなるとか失くなんないとか、ワケ判
 んね、」

「・・・・・・・・・・・・」

見下ろす顔から目を離せないまま、押し戻そうとした腕を握り捕られる。
その時震えた指先は無かったコトにして、笑って「放せよ、」と言おうとした所
で、告げられた言葉に声を無くした。

「お前の家は、もう無い」

口を開きかけたままの俺に、もう一度告げる。

「もう、無い」

――――――・・・・、

・・・・なんの話だ?

ゼートは動きを止めた俺を、ただ黙って見下ろしている。
よろめいて背後の机に寄りかかった俺の真上で、青い瞳が静かに瞬いた。

――・・・家、俺の戻る家、それはつまりあの森の家のこと? 爺さんから貰った
あの家? ・・・・・爺さんの、家が?

ぱくぱく、と口が動いて、目が見開かれる。

なにを。

混乱する俺を注視し、ゼートはゆっくりと話し出した。

「・・・一度、様子を見に行ったことがある」

「―――――」

「ジェードの子も気にかかった。それに、もう一度見てみたかった」

「――・・・いつ・・・・・」

「お前が来て直ぐに」

掴まれていた腕はいつの間にか離され、ゼートの手は視線の彷徨う俺の頬を包
み込んでいる。

その硬い皮膚の手のひらに、いつか、同じようにして俺を撫でた爺さんの手を、
だけど茶色に染まった爪先とは全然違うゼートの手を、くたびれた姿で戻って
きたゼートの姿を、目まぐるしく思い出した。

「・・・・・・・・なんで・・・・・・?」

喉の奥が詰まったような声でゼートに問う。
ワケが判らなかった。

「・・・おそらく私達が帝国に向かっていた間だろう。
 テネスが“涙”の生成者と判った時、ディルクに調べさせたが荒らされた形
 跡があるという報告だけだった。お前を逃がし、火を放ったらしい」

「―――――・・・・・」

・・・ゼートもディルクも調べたなら俺に一言なんか言えよ、とも思ったし、荒ら
されてたって爺さんの形見とかまさか墓まで荒らされて、とか心臓がどくどく
脈打ったし、ああ、火、火ね、火じゃぁ全部燃えちゃって今更か? とも思った。

「うそだ」

としか言えなかった。

「・・・信じられないと言うのなら、一度戻ってみるのも良い」

息苦しくて霞んだ俺の視界一杯に、真正面から俺を見据えるゼートの青が映る。

――そんなの戻るに決まってるじゃないか、自分の目で見なきゃ納得出来るワ
ケがない。誰に何と言われたって、たとえゼートにだって、どうして俺からあ
の家を奪えるって言うんだ。

だけど。

「―――だが、」

背中に腕を回されて、身体がふっと浮かび上がる。

頬に掠る俺とは違った黒い髪と、いつでも全身を包む暖かさに、


・・・・・本当に腹が立つのか苦しいのか悔しいのか、・・・・嬉しいのか、判らなかった。


「残すつもりも、・・・・・残されるつもりも、無い」


そう言って俺を抱き締めたゼートに、どうしようもなく胸が痛んだ。




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