第三十九話



あの、すいません。諸々の疑問は記憶の奥底に封印しておきますんでこの空気
をどうにかして貰えませんか。


プロの美容師と名を騙り、ゼートと俺を騙した男が立ち去ってから早数時間、
無言のまま夕食を終えた俺達は気まずくそれぞれの部屋へと退却した。「アレは
結局誰だったの?つーかゼートの知り合いだよね?」と湧き上がる疑問は数知
れなかったが、完全に無の極致なゼートに尋ねる勇気など持ち合わせてはおら
ず。触らぬ神に祟り無し。つーか既に軽く祟り有り。

そして「明日になれば全てが丸く収まってるハズ!」と欠けゆく月に祈ろうと
し、その新月へと向かう赤みがかった色に「・・・・こんな禍々しいモノに願いを
託せるか・・・」と早くも叶わない予感にふらりと庭へ踏み出せば。


「―――・・・・・ユーシン」


流れの速い雲に隠れ、月の光はまばらに大地へと降り注いでいる。

そして浮かび上がる東屋の更に奥、垂れ下がる白い花の壁がつかの間途切れ、
微かな月の光も届かない暗がりから滲み出るように真っ黒なゼートが。


「―――――ッッッ!?!?!」

俺はいつか心臓発作で殺されるんじゃないだろうか。

もう本日何度目になるのか判らないが、驚きすぎて痛む心臓を押さえながら軽
くえずく。そんな悶え苦しむ俺に歩み寄ったゼートは「・・・・驚かせたか」と当
たり前なコトを言って俺の背中をゆるく擦った。

「なっ、ななななななんでここにいんのっ」

「いや・・・・、私にも判らない」

「夢遊病かよ!?」

「・・・・?」

記憶も無く深夜徘徊なんぞその歳でしてんじゃねぇと憤る俺に、一瞬首を傾げ
たゼートは小さく「あぁ」と呟いて東屋の影を指差した。

「見た目では判らないだろうが、そこに抜け道がある」

「は?」

「聞いただろう。此処は〈青軸の間〉だと」

「いや、それのどこに抜け道の正当性が」

「夫と妻の部屋が繋がっている事に何の不思議がある」

「ぅおっとォ?!?」

「・・・・・・・・・・・・・・」

奇声を上げた俺を無言で見下ろすゼート。いや、そういえばそんなご説明をイ
バンさんから受けた覚えもあるが、プリンセスベッドしかそれらしい気配は無
かったのですっかり忘れてたよ。忘れようと努めたよ。

「・・・・へ、へえ・・・・」

まぁそんな部屋に居候してる身としてかなり居た堪れない理由はともかく、抜
け道と聞いては黙っていられないのが男の子の性。かつてダンボールで秘密基
地を作らせればクラス一と謡われたのはこの俺だ。小学校は図画版画クラブに
所属。

早速ゼートが指差した先までちょこちょこと歩いて行き、ゼートが滲み出て来
た辺りを見回してみたがサッパリ判らなかった。庭の周囲はどこまでも続く白
い花木、途切れなど無い。


「・・・此処だ」

黙って眺めていたゼートが俺の手を引き、白い小花の壁に突っ込んでいく。
うおっぷ溺れる、とアワアワしかけた所で、案外全身を撫でていく花の感触が
気持ちが良いコトに気が付いた。いつの間にか足の裏には硬い石の感触もして、
飛び石が置いてあることも判る。幹に当たりはしないかとも思ったが、視界は
全て埋もれるような、白。

「―――――――」

――きっと、昼に通れば眩しいほどに白く目を灼く花の小路なんだろう。

前を歩く黒いゼートの背中。今は淡く霞む白いトンネル。

例えば、この屋敷で働いているあの一人だけ若い女の子、あの子の優しそうな
クリーム色の髪は、きっとその景色に良く似合うはずだ。

例えばそう、あの子がゼートを呼ぶ時の高く澄んだ声、あんな声がここで響い
たなら、それだけできっと幸せが目に映る。

「――――・・・・・」

・・・モンゴロイド黄色人種、あまつさえ二十迎えた男とは雲泥の差ですな。

嗚呼、ロマンチックに後ろ足で砂をかけるようなキャスティングでごめんなさ
いとその存在意義を失いかけている〈青軸の間〉そして抜け道に謝る。いつか
正しい使用目的で君たちが使われることを祈っている。

「――ぅお?」

心の中で十字を切った所で、ゼートの前の白が細く途切れた。ぶつかりかけた
背中に片手を当てて覗き込めば、その隙間から遠く明かりが見える。

「ま、窓?」

目を凝らせば明かりが漏れていたのは小さな出窓で、これまたこじんまりとし
たベランダがある。や、ベランダという言葉から引き出される庶民臭さなどこ
れっぽっちも無いが、

「・・・ゼートの部屋じゃないじゃん」

どう贔屓目に見てもあの〈万緑の間〉程の高級感も無い。

「此処は隠れ家だ」

どういうコトかと見上げたゼートは花を掻き分けて先に進む。もっさりした
木々の黒い影に覆われるようにして佇む小さな家は、確かに隠れ家という言葉
がピッタリと当て嵌まった。

「抜け道なのに抜けてないじゃん」

「その一部だと思えば良い」

「どんだけ壮大な抜け道? これだから金持ちは・・・」

「先代の当主が趣味で造ったそうだ」

「・・・趣味の規模が違う・・・」

「昔の、私の部屋だ」

「―――はい?」

さらりと言われて聞き逃しかけたが、扉を開けた先を見て言葉に詰まる。
隠れ家といっても爺さんの家とは全く違うそこは、全ての家具に真っ白な布が
かけられていて妙に寒々しかった。

窓際のローテーブルだけが布を外され、燭台に一本のロウソクが灯されている。

ぽつん、と置かれたひとつだけの椅子が、妙に寂しかった。

「・・・つまり子供部屋、みたいな?」

燭台を取りに近づいたゼートに比べ、その椅子は本当に小作りだった。
黒髪の少年がそこに腰掛けている様子が、今にも目に浮かびそうだ。

振り返ったゼートと同時にその少年もこちらを向いた気がして、凪いだ青い瞳
に息が詰まった。

「そう、なるのだろうな」

呟いたゼートが横を通り過ぎ、壁にかけられたランプのホコリを払う。どこか
らか取り出したロウソクにまた火を点せば、ふたつの灯りに室内が暖かく染ま
った。

「・・・・・や、まったく庶民のガキとはレベルが違うな。俺の秘密基地なんて紙だ
 ぞ紙」

暖かなオレンジ色にほっと息をつき、軽口を叩きながら室内を見回す。どの家
具にもどこか子供らしさが伺える気がして、成る程ここでゼートは育ったのか
と思うと感慨深いものがあった。

「でもさ、夫婦の抜け道の真ん中にって、まんまっつーか何つーか」

「その為に造られた訳ではないが」

「でも良い感じなんじゃない、囲まれててさ。守られてる感じ?」

「・・・・・・・・・・・・」

勉強机らしきものから本を取り出し、パラパラとめくりながら呟く俺にゼート
が薄く笑う。そのどこか苦さを滲ませた笑みに俺の手が止まると、唐突にゼー
トは俺の身体を引き寄せた。

「っぬおッ、ぜ、ゼートっ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

突然のコトに手から本が投げ出され、大きな音を立てて机の上に落ちる。そこ
からまた被害は拡大し、衝撃によって転がったペンが机の上からカツンと床に
落ちた。

黙り込んだゼートの後ろを、コロコロと転がっていく。

「・・・・・ゼート?」

俺の呼びかけに力を込めることで応えたゼートは、小さく呟いた。

「―――――」

肩に声がくぐもって、全く聞き取れない。

「・・・え? や、何?」

「・・・・・・・・・・・・・・」

どうしようも無くて聞き返した俺に、ゆっくりと顔を上げたゼートの瞳は酷く
切羽詰っているように見えた。

いつまで経っても見惚れてしまう、どこまでも青い瞳。

ふと気が付けば、その中に映り込む自分と見つめ合う形になり、俺は転がった
ペンに視線を落とした。

「ユーシン」

「っはい!?」

唐突にかけられた声に元気良く返してしまい、慌てて「ごめん」とゼートに謝
る。しかしすぐ傍で叫ばれたゼートに気にした様子は無く、俺だけを見たまま
口を開いた。

「・・・この屋敷に、留まる気は無いか」

「へ?」

「メリディアナの反乱が終わった後も。この屋敷に、ずっと」



「―――ずっと、私の、傍に」














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