第三十七話


――そんな感じで、昨夜は妙にまったりとしてしまった俺は、出張から帰って
きた父親にじゃれつくお子様のようにゼートと語り合ってしまった。二人どこ
ろか五人並んでも大丈夫とお墨付きを貰えそうな寝台の上で、ゴロ寝しながら
スカイ誕生秘話などを披露する。


そんなことしてたらまあ、そのまま眠っちゃうのは当然っつーか自然の摂理で。


「―――行ってらっしゃ〜い。・・・・・もう遅いけど」

昨夜、寝てしまう前に約束した通り起こしてくれたゼートを、俺は二度寝から
目覚めた後に把握した。遅い、遅すぎる。起こして貰った意味が無い。せめて
見送りぐらいはしたかったのに、どこまでふてぶてしい居候なんだ俺は。



思い返せば毎度反省と結果の伴わない自分に「つーかやる気あんの?」と自問
しつつ、俺はイバンさんが持って来てくれた朝食を口に運びながらぼんやりと
今日の日程を確認していた。


「――よォ、久しぶり」


確か今日は、ゼートが言っていた美容師の人が午後に来てくれることになって
るから、それまで庭師のおっさんの所にでも行ってみようかなあ・・・。


「おい?」


いや待てよ、ここはひとつ掃除のプロ集団の仕事っぷりをこの目で見せて貰う
ってのも良いよな。


「・・・・オイ、」


うーん、いざ何かしようとなると何から手を付けて良いものかサッパリだ。


「・・・・・――」


まあとりあえず、今はこの美味い朝飯を堪能することに全神経を、


「――いい加減にしろよ!」

「っあんたこそ!!」


せっかくここまで俺が完璧な黙殺を遂行していたというのに、どうしてそう自
分の存在を明らかにしようとするんだ。流れに身を任せてそのまま空気になっ
ていれば良かったのに。

先程から雑音として処理されていたものの正体、つまりもはや存在さえ記憶の
彼方に葬り去られていた所のディルクが、いつの間にか俺の横に座り込んで俺
のパンをつついていた。

「なんだよなんなんだよ今更何の用なんだよ。俺は今日も外出しないから貴方
 の仕事はございませんよ!」

「ハア?何お前、俺がずっとほっつき歩いてたとでも思ってんのか?」

俺が身を引きつつ捲くし立てると、ディルクはちぎっていたパンを口に入れる
寸前で手を止めて、呆れたように目を細めた。

「お前も大概呑気なヤツだな。お前がどうして無事帝国に着けたと思ってん
 だ? 外に出なけりゃ護衛はいねえとでも思ってたのか? あ?」

そこまで言って、フォークをくるくる回しながら足を組みかえる。

「隊のお仕事てんこもりだっつーのに、合間を縫っては追っ手を霍乱・情報操
 作。嗚呼、なんて涙ぐましい献身的助力」

・・・そうですか。通りで道中安穏としていると思ってましたよ。

「――それを何だぁ、面倒かけ腐った張本人に汚物扱いされちゃあ、流石の俺
 も傷ついちゃったな〜」

「・・・・・・・・・・・・・・」

わざとらしく片手で目を覆おう仕草に、俺の持つ繊細な硝子のコップがキシリ
と軋んだ音を立てる。

それでも、確かに俺の考えが至らなかったことは事実なので、俺は無能扱いし
ていたことを心のうわずみレベルで詫びた。

「・・・・ごめん」

手の隙間から目を覗かせたディルクが、つまらなさそうにフォークを放り出す。

「あ〜、そこで素直に謝っちゃうのかぁ、ユーシンちゃんはー」

「何が不満なんだよ」

「いやぁ?べっつにぃ?」


うん、やっぱりこいつきらい。


「・・・で、本当何しに来たの、」

とりあえず、姿を見せなかった間も何かしらのお仕事はしていたらしいので、
突然会いに来た意図が判らない。行儀が良いのか悪いのか、一口サイズにちぎ
ったパンを口に放り投げている男に尋ねた。

「ぁあ、別に、コレといった用はねえな」

「・・・・・・・・・・・」

じゃあ来んなよ。

俺の胡乱げな眼差しを直に浴びて、男は可笑しそうにククッと喉を鳴らした。

「そんな嫌そうなツラしてんじゃねぇよ、俺ァこれからまた一仕事してくるっ
 つーのによ」

俺の手から硝子のコップをするりと抜き取って、中の水を一口で飲み干す。

「――内乱も激化して来た。今のブラウリオにお前を追う余裕なんぞねェ。
 ちっとここらでお前の護衛は外れさせて貰うぜ」

「・・・!」

ニヤッと笑うその顔はむかつくの一言に尽きたが、発言の内容は賞賛に値する
情報だった。



「―・・・そっか!そりゃあ大変だな!じゃあお別れのあいさつに来たってコトな
 んだな? 嫌だなあ、それならそうと早く言ってくれれば良いのに」

「何だその態度の急変は」

「それぐらい察せよ特殊部隊」

「ぁあ判ってる判ってる、寂しくて拗ねてるだけなんだよな?」

「あんたもう退職願出した方が良いんじゃない? 死ぬ前に」

「ハッ、嫌なこった」

「なんで」

「俺にはコレが性に合ってんだよ」

「気のせいじゃね?」

「・・・お前も言うようになったな?」

「そりゃどうも」


見た目も味も最高な朝食をつまみながらポンポン言い合う。

ちょっと前の俺なら、この半分が悪趣味で出来ている男と積極的な会話に踏み
出す気など到底起こらなかっただろう。

だが今は何よりも、あのクソオヤジの命運も残り僅からしい現状に心が浮き立
っていた。

ハハハハざまーみろ誘拐犯め!

「・・・じゃ、これからどっか行くの?」

「ああ、まぁな」

「へえ・・・」

ディルクは前に見た時と同じような服を身に付けていたが、手に持った外套は
初めて見る漆黒だった。

まるで、ゼートとそっくりの。

「・・・・・・」

じっとその外套に見入ってしまっていたが、ふとディルクの雰囲気が変わった
ので意識が逸れた。ディルクの顔に目を向ければ、何となく遠くを見るように
テーブルの上の銀食器を眺めている。

「・・・え〜と、何、やっぱりこのお上品なお食事はアンタの口には合わなかった?」

何となく気味が悪かったので軽くおちょくってみると、ふいと目線を上げたデ
ィルクは無表情に俺を眺めた。

「・・・な、何」

「・・・・・・・・・・」

不気味にも程があるので声などかけたくも無かったが、普段ふざけた人間に黙
りこくられると無性に居心地が悪い。しぶしぶ話しかけた俺に対し、真顔だっ
たディルクはふっと息を吐いて唇を歪めた。

「・・・あー、子猫ちゃんは子猫ちゃんだもんなー。しゃぁねえよなー。聞いても
 無駄っつーか聞くのも可哀そうっつーか」

「うんちょっと馬鹿にすんのも大概にしとけ?」

微妙に心配した人間に返す言葉かそれが?

ディルクに向けた顔がひくりと引き攣ったのが判ったが、そのままの顔で見つ
め続けると、一瞬目を細めたディルクは微かに唇を歪めて俺の髪を掴んだ。

「・・・ま、お前には関係無い事だ。きっとな」

わしわしと撫でられて、ゼートと似た硬い手の平が離れていく。

「・・・何が、関係無いっつーんだよ?」

会話にもなっていない言葉に納得がいかず問いかけると、ディルクはそんな俺
から視線を外すように背もたれに身を預けた。

「さァ、何だろうなぁ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

ああ、駄目だ、我慢出来ん。

今の台詞と先程の雰囲気からして、あからさまに何かがありますよーと全身で
訴えかけられているようだ。これを突っ込まずして何を突っ込む。人の秘密を
暴くことはその人の心を蹂躙することに他ならないが、相手はディルクなので
そこらへん軽くスルーで。むしろこいつの弱みを握れるなら喜んで良心などド
ブに捨ててくれるわ。

この世界に来てからか、それともこれが本当の俺だったのか、何の躊躇いも無
くプライベートに土足で上がり込む決意を固めた俺を、ディルクはいつもと変
わらない調子でまたおちょくり始めた。


「つーかお前こそこんなお食事で平気なのか? 甘いおやつが要るんじゃな
 いか? 高貴な俺と違って」

「うん、どっからどう見てもタチの悪い雑種だよね」

「おやぁ? こんな所に躾のなってない子猫がいるぞ〜?」

「いてっ、いてっ?! ちょ、暴力反対!!」

「こんなモン躾にもなんねえよガキ」

「俺はもう二十だハゲ!」

「俺はまだ二十三だハゲるかボケ!」


・・・・・・・・・・・・・。


「――――っはあ!?」

「・・・・・・・・・・その驚きは何だ?」

ピシピシと額にデコピンを連打されていたが、ありえない台詞が耳に飛び込ん
で来て痛みも疑問も何処かへ吹っ飛んでしまった。

「に、にじゅうさんさい?!あんたが!?」

「・・・お前、失礼にも程があるんじゃねぇか、」

「あんたこそついて良い嘘には限りがあるんじゃないの、」

「ハッハッハッ、いっぺん犯すぞコラ」

「すいません」

条件反射で謝ってしまったが、この場合は危険度が半端なく高いので良しとし
よう。たとえ冗談だったとしても、こいつなら冗談の範囲でやらかしそうだ。

「・・・はあ・・・・。二十三、ねえ・・・」

まじまじと見つつ、もう一つの硝子のコップに水を注ぎなおして口に含む。

いやしかし、こいつは本当に二十三歳などという爽やかな年齢なのだろうか。
そのおちゃらけたというか腐敗して溜まったガスが破裂したような性格からし
てゼートより上だと言われるよりは納得出来なくも無いが、こんな新入社員い
たら速攻でクビだクビ。ゼートのような計り知れない懐を持った上司に就けた
コトを天地神明に感謝したら良い。

俺の物言いたげな視線に不愉快そうな顔を向けたディルクは、ふと外を見てか
ら腰を上げた。

「・・・ま、そんなイイ根性してたら平気だとは思うがな。精々気張れや」

一体何を頑張れと言うのか、凄まじく不安を掻き立てる笑顔で外套をバサリと
広げる。

それまで身に着けていた灰色の服が隠れてしまって、妙に赤い髪が目についた。

陳腐な表現だが、錆びた色だと思った。

何が、とは言わないけど。


「じゃぁな」

最後にディルクは俺の髪をぐしゃりと撫でてから、重そうな靴音を立てて扉へ
と向かった。その赤い髪が、俺の視界でチラチラと揺れる。
ゼートの青い瞳とは、正反対のはずなのに。

その黒い後姿が、妙にゼートと被って見えて、俺は思わず声を上げた。

「――気をつけて、」

面白そうな顔で振り返ったディルクは、ひらひらと手を振りながら消えて行っ
た。






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