第三十四話


結局、俺がディルクと外出したのはあの一度きりで、それからはずっと屋敷に
引きこもっていた。屋敷に居ればアイツはどこぞへと消えていくので、俺とし
ても余計な負担を感じずに済む。


・・・引きこもり生活二週間目、ゼートはまだ帰って来ない。


流石に遅すぎるんじゃないかと思いイバンさんに尋ねてみたが、これぐらい屋
敷を空けることは別に珍しくないんだとか。何ソレどんだけ働いてんのあの人。
労働基準法違反なんじゃないの皇帝。

哀れすぎるゼートの勤務実態に顔を歪めた俺をどう思ったのか、イバンさんは
気遣わしげに眉を落とした。

「ユーシン様、私に出来る事がございましたら何なりとお申し付け下さい」

ゼートの留守を預かるイバンさんは、この屋敷の影の主人ともいうべき多忙な
人だ。そんなイバンさんの手を煩わせるなんて気が引けたが、流石に読書・散
歩・読書のループ生活にも飽きていたので、俺はおずおずとイバンさんのお言
葉に甘えてみた。


「・・・・・・・・・・・・じゃあ、ちょっとだけお時間頂けますか」


今いる所は屋敷の書庫、この二週間俺が入り浸った場所だ。


少し息苦しくも感じられるこの空間は、爺さんが持っていた分厚く古めかしい
本を思い出させて、俺にとっては泣きたくなるくらい落ち着く場所だった。
この部屋の雰囲気は、爺さんにほんの少しだけ似ている。

爺さんのお陰でそれなりに読めようになった背表紙のタイトルを目で追いなが
ら、俺はずっと気になっていたことを尋ねてみた。

「ディルクがゼートのことを「隊長」って呼んでたんですけど、ゼートって何
 してるんですか」

抱えていた何冊かの本を持ち直すと、イバンさんはさらりと俺の手からそれら
を取り上げ、慌てる俺をにこやかに躱しながら中央の円卓へと誘導した。
て、手強い。

「旦那様は、〈黒旗隊〉の指揮を任されております」

「こっき・・・・?」

「はい。旗章を持たぬ部隊ですので、そう呼ばれているのです」

椅子まで引かれてしまった俺は、なんとも複雑な気持ちで腰を下ろした。

「〈黒旗隊〉は皇帝陛下直属の部隊です。第一及び第七、いずれの軍団にも
 属しておりません」

「は、はあ・・・・・?」

何だか良く判らないけど、いわゆる特殊部隊?

いまいち内容を把握しきれていない俺に気付いたのか、イバンさんは穏やか
な口調で追加説明した。

「つまり、皇帝陛下にしか動かせないということです」

いやあの、めっちゃ端折りすぎじゃありませんか。

俺ってそんなにチンプンカンプンな顔してましたか? と少し哀しくなった。

「少数精鋭部隊ですので、旦那様を含めた現在十三名の隊員が身分の上下無く
 登用されています」

おお、アーサー王と円卓の騎士みたいだな。

「は〜・・・。すごいんですね〜・・・」

半開きになっていた口を閉じて、俺はイバンさんの淹れてくれたお茶を啜った。
その時イバンさんがふと目を伏せたのは、俺が音を立ててしまったからじゃな
いと思いたい。すいませんついズズッと。日本人なんで。

「そんなんじゃ忙しくて当たり前ですねぇ、」

アハハーと誤魔化すように笑って言ったが、イバンさんは苦笑のような笑みを
浮かべるだけで何も言うことは無かった。その沈黙にちょっと不安を覚えたが、
俺も黙って差し出された焼き菓子をほおばる。やっぱり、あんま突っ込んだ事
は聞いちゃいけないかったか。それとも俺のマナーの問題ですか?

もそもそ口を動かす俺を、どこか物悲しげに眺めていたイバンさんがすいっと
横を向いた。俺もつられて目を動かせば、次の瞬間に扉の向こうからお手伝い
さんの声がかかる。 え、主従そろって気配でも読めるんですか?

俺に断りを入れてから円卓を離れたイバンさんは、二言三言話した後に足早に
戻ってきた。


「旦那様がお戻りになられました」


「なふっ、?!」


思わず声を出しかけたが、口の中には水分を奪う菓子が。とっさに手で押さえ
て茶で流し込むと、俺もイバンさんと一緒にゼートを迎えに行った。










「ゼート!!」


玄関という名のホールで手袋をはずしていたゼートを見つけ、思いのほか大き
な声で呼びかけてしまった。驚いたように俺を見たゼートは、外套を預かった
お手伝いさんに何事か言いつけながらこちらに歩み寄って来た。

「――今帰った」

「お疲れさん・・・お帰り、」

かなりくたびれた姿のゼートに、お帰りよりもまず労わりの言葉が出てきた。
いやほんと、今までどんだけ働かされたのか。

「・・・・・ユーシン、・・・・・」

俺の頭に手を伸ばしかけたゼートは、ふらりとその手を下に降ろした。

「・・・ゼート?」

別に汚れちゃいないのに、どうしたのか。や、別に撫でて欲しいワケじゃない
けど。

ゼートはゆるく瞼を伏せて、久しぶりに見る青い瞳も影に隠れた。

「・・・・・長く留守にしてすまなかった」

「や、そんな気にすんなって!すごい良くして貰ったって!」

俺はとんでもないと首を振ったが、ゼートの雰囲気はどこか沈んでいる。

「・・・あんたほんとに疲れてんだろ? 今日はもう寝ちゃいなよ。
 ほら、さっさと風呂入ってさ!」

鉛でも呑み込んだかのような顔のゼートに、俺は努めて明るく背中を押した。
いつの時代も、いやどこの世界でも勤め人っつーのは大変なモンなんだな・・・・。


「ユーシン、」


身軽だった大学生活を振り返り、しみじみとゼートを労わる気持ちに包まれて
いると、俺に押されて歩き出したゼートが俺の名前を呟いた。目の前の背中を
見上げながら「ん?」と応えたが、ゼートが続きを言う気配は無い。

「何?」

前に回って見上げたゼートの瞳は、廊下の炎に照らされて、水面のように揺ら
いでいた。

「・・・・・・・いや、千階門まで行ったと聞いたが、楽しめたか?」

俺がぼうっと見上げている内に、ゼートは普段と変わりない静かな空気に戻って
いた。

今度は俺が軽く背中を押されて進み出す。

「―――あ、うん、人とか建物とか、すげえ感動した。なんつーの、熱気?み
 たいのとか、ほんと、楽しかった」

なかなかゼートの顔から目を離すことが出来なかったが、俺も廊下の先に視線
を戻した。昼間とは違って、目に優しいレモン色のような光で照らし出されて
いる。今日は、満月だから。

「・・・そうか」

少し目元にかかっているゼートの髪ごしでも、綺麗に瞳が細められたのが良く
判った。

「うん――」


――苦しい。


唐突に、そんな感覚が胸に浮かんだ。

本当はそんなハッキリした言葉では表せないけど、じわっと広がるようで、キ
リっと痛むような、そんな気持ち。

「うん。俺、ほんとに楽しかったよ、」

俺はなんだかたまらなくなって、必死にゼートを見上げて言い募った。そんな
俺の様子に、ゼートも前に向けていた顔をこちらに向ける。それに力を得て、
俺はますます会えなかった間の感想を並べ立てた。

歩くスピードがゆっくりとしたものになって、ゼートが静かに俺の話を聴いてくれる。

それが嬉しくて、俺は最後にちゃっかりディルクの不満までぶちまけた。

「でもさぁ、ゼートもこれからは部下の情操教育に力を入れてった方が良い
 よ!アイツはもうマジ勘弁。今度は絶対あんたとが良い」

力一杯主張すると、ゼートは驚いたように足を止めた。

「俺まだ千階門までの大通りぐらいしか見てないし、帝都を見て回るとは程遠
 いよね。なんかはずれに丘とかあるらしいし、あのデカイ時計塔みたいなの
 も見てみたいなあ」

頭の中で指折り数えて気になる場所を数えてみる。正直言って一番興味を惹か
れるのはあの城に決まってるんだが、流石にそこまで身の程知らずじゃないし、
まさか夢の国のシンデレラ城のようにナチュラルに冒険出来るはずもあるまい。
つーかそんな城は俺が嫌だ。

「な、あんたはどっか名所とか知んないの? 穴場な店とかさ」

ひとりで居る間、長く庭に出れば自然とマーノ達のことが思い浮かぶし、書庫
に篭もれば爺さんの夢を見て苦しくなることもあった。だからと言って、外に
出る気力が湧いてくるハズも無く。

そんな完全根暗生活、俺もうおなか一杯。

爺さんが死んでからの半年間、森に引きこもっていた自分が思い出されて目頭
が熱くなった。いくらインドア派とはいえ、なんかもう行き着くとこまでいっ
ちゃいそうで怖い。そんな自分を普通に受け入れそうで怖い。ただでさえテン
ション低めな男として認識されていた俺に、ヒッキーの称号はシャレにならん。
お袋も草葉の陰で泣く。

痛い思いでちょっと俯いた俺の目に、くっきりと長く伸びる俺達の影が映った。

「・・・まあ、内乱が終わるまでは我慢するけど、」

ゼートが休みを貰えたら。全部、全部が終わったら。

「晴れて自由の身になった俺を祝して、二人でぱーっと遊ぼうぜ」

うん。ちょっとはここの人達とも慣れてきたし、明日からでも庭師のおっさん
になんか手伝わせて貰おう。畑作りならお手のモンだし、それか厩の世話でも
良い。気晴らしなんていくらでも出来るんだ、俺の人見知りがネックだっただ
けで。

でも、そうすればあっという間に時間は過ぎていくだろう。退屈なんてしない
で待っていられる。余計なことも考えないで、ただ忙しない毎日を生きていけ
る。帰れる日だけを、思って。

「約束したし、な?」

ゼート。俺はもう楽しい先だけを見ていたいよ。

マーノもナアラも大丈夫だろ? 爺さんは俺の大切な爺さんで良いだろう?

怖い事は、もう全部仕舞ってしまいたいんだ。

「俺、楽しみにしてるから」

笑って見上げた筈なのに、ゼートの顔は揺れていた。

「・・・ああ、」

ぎゅうっと頭を抱え込まれて、ゼートの肩口に押し付けられる。
上げていた口の端がひくりと下がって、への字になったのが判った。

「――必ず、守る」

ゼートの低音がじかに響いて、俺は思わず両手をゼートの背中に回して握り締
めた。一呼吸の間を置いて、ゼートの空いた手も俺の背中に回される。

・・・ああ。

俺、俺、結構限界だったみたいだ。自分でも気づかない内に、すげえゼートに
依存してた。こいつは絶対に俺を助けてくれるって、すげえ甘えてたんだ。
二週間、たった二週間ゼートから放り出されただけで、こんな不安になるぐら
いに。


この世界で俺の安心できる場所、それはあの森とおっちゃんおばちゃんの家、
それにゼートの傍だけだ。



ゼートの、傍だけだ。






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