第三十三話


「ほぅら、とっても美味しいジュースですよ〜? わお、甘くてつめた〜い!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」


馬鹿にしてんのかコイツ。

俺はフードの下でハッと嗤うと、何も言わずにディルクの手からジュースを奪い
とった。露店で買ったばかりの、綺麗なオレンジ色をした冷たいジュースだ。
とりあえず食いモンに罪はないし、こういう時は下手に騒いだ方が相手を喜ば
せるだけなので。

予想通り、無反応な俺をつまらなさそうに見たディルクは、自分の分に買った
らしい不味そうな色合いの・・・・・・・飲み物・・・・・? を口に含みつつ、周囲に視線
を走らせた。


屠殺場に引き立てられる豚の気持ちで俺が連れてこられたのは、まさに俺が最
初に目を奪われた大きな門の前だった。この門が“千階門”というらしい。い
や、どう贔屓目に見ても千段は無いと思うんですが。まあそれぐらい大きいん
ですよーと全身でアピールしている素晴らしい門だ。


ここまでの道中、俺の体中から立ち上る負のオーラがあまりにも強かったせい
か、ディルクはそれなりに常識的な言動で俺を案内してくれた。そう、たとえ
幾度も道行く色っぽいお姉さん達に声をかけられようが、俺がすっ転びかけた
瞬間に襟首を掴み上げようが、人ごみにまぎれて逃走を企てた俺に笑顔でナイ
フをちらつかせようが、以前の変態的行動とは比べるべくも無い。男として、
自分の貞操の心配するより命の心配してる方がよっぽど落ち着きますよ。


俺は太いストローで思いっきり原材料不明なジュースを啜り上げつつ、まぶし
い太陽の光に目を細めて千階門を見上げた。・・・ゼート、俺がこの門に見惚れて
いたコトに気づいたのはスゴい。そしてそれをわざわざ護衛に伝えたのも素晴
らしいマメっぷりだと思う。けどな、それだけ気が回るんならな、もうちょっ
と部下の人選にも気を配れなかったのかな?


今頃汗水たらして働いているであろうゼートを思い、俺は小さく溜息をついた。


「・・・・・・日が強くなってきたなぁ。どっか休むか」

俯いた俺を横に引き寄せたディルクは、誰に言うともなしに呟いて歩き出した。
別に具合が悪くなったワケじゃないんだが、さりげなく自分の影に入るよう歩
いていたりして、コイツ、手馴れてやがる。


先ほどのお姉さん達の顔を思い出しつつ、俺達は食堂と思しき店内へと入って
いった。








「あー、なんか軽い食いモン持ってきてくれや。なるべく消化のいいヤツな。
 それと酒」

「かしこまりました〜」

主賓たる俺に何のことわりも無く、ディルクはさっさとウェイトレスさんに注
文を出してしまった。良いけどさ、良いけどさ。酒とかもう突っ込む気にもな
んねえしさ。

石造りの飯屋はひんやりとしているし、注文の内容も俺の体調を気遣ってのこ
とだと判っているので、俺は過去から沸き起こる諸々の感情に蓋をしてディル
クに礼を言った。初めてまともに口を利いたので、ディルクはちょっと驚いた
ように目を瞠っている。

「なんだ、俺の優しさに参ったか?」

「好きか嫌いかと言われれば嫌いだけど、これから世話になるしそれなりに
 付き合おうと思って」

「お前、正直は常に美徳だと思ってんじゃねえぞ」

「俺だって社交辞令くらい身に着けてるよ」

「もういっぺん学び直して来い」

「アンタもな」

思ったよりも太かったらしい自分の神経に感心しつつ、俺は頬杖をついて目の
前に座る男を眺めた。まだまだあの日の恨みを忘れたワケでは無いが、こうな
ればもう慣れるしかない。それに俺は護衛対象、まさかその心身を傷つけるよ
うな真似はするまい。きっと。おそらく。

まぁいざとなったらアレだ、あの変質者がゼートの部下だなんて何の因果かと
思ったが、それってつまりはゼートには逆らえないってコトで。やった。俺は
虎の威を借る狐になる。

ほくそ笑んだ俺を同じように観察していたディルクは、ゆるく組んでいた足を
降ろしてテーブルに肘をついた。

「・・・それにしてもなあ、なんだってまーお前みてぇなのとあの隊長がくっついた
 んだか、」

「ちょっと待て?」

速攻で俺の顔から笑みが消えた。

「うんあのさ、俺たちって根本的に擦れ違ってるっつーかとことんふざけた
 野郎だなアンタは!」

「コラコラ、公共の場で大声なんぞ出すんじゃねぇよ」

「アンタが常識語んじゃねーよ!!」

「目立ってっぞお前だけ」

「んなっ?」

反射的に周囲を見回したが、そんなに多くない客のほとんどが俺を注視してい
る。慌ててぺこぺこ頭を下げて、俺は体を丸めて椅子に座り直した。

「さっさとフードとっちまいな。店ん中じゃ悪目立ちだ」

確かに、すっぽりと濃紺の外套を着込んだ俺からは不審者オーラが滲み出てい
る。客観的に見たらそう、悪の魔法使いみたいな。こんな健全な飯屋じゃなく
て、薄暗い酒場の隅だったらすげえ溶け込めそうだ。

可愛らしいウェイトレスさんが飯を運んでくるのを見て、俺はそそくさとフー
ドを取った。

「・・・ま、お顔はなかなかカワユイけど?」

運ばれてきた三皿のうち、ごった煮のようなモノを自分の前に引き寄せて、俺
にはサラダとリゾットを寄越しながらディルクはニヤッと笑った。

・・・あーとそのお酒、ちょっとぶっ被ってお清めでもしたほうがイイんじゃない
かな。

「・・・・・とんでもねー誤解だ。俺とゼートは潔白だ。アンタと一緒にすんな」

フォークをぎちりと鳴らして睨みつけたが、ディルクはどこ吹く風で酒をあお
っている。そのまま内から浄化されてしまえ。

「誤解ねえ?ほんとうに?」

嫌味ったらしい男だな・・・。

「そんなに上司をホモに仕立て上げたいのかよ」

「ほも?」

「男好きっつーこと!」

「別に褒められたコトじゃぁねーが、珍しいモンでもねぇだろ」

「・・・・・・はい?」

「何だ、お前の生まれは違ぇのか?」

「・・・・・・・・や・・・・?」

すいませんちょっとストップ。

俺は目を見開いたまま乳白色のリゾットに視線を落とした。いやまあアレです
よ、確かに日本でも新宿二丁目とかそこらへんが話題になったり性問題の認識
が広まったりしてなかなかオープンな感じになって来たけど、それはあくまで
も社会全体としてであって、俺個人の狭くも平和的な世界にそんな、奇天烈な
ことが。ストレンジなシングスがハップンドゥなのは不思議の国のアリスさん
ちで充分だよ。

俺の間抜け面を肴に飲んでいたディルクは、面白そうな顔で空になったコップ
を置いた。

「はぁ〜ん、へ〜え、ほ〜ぉ、」

腕を組んで、片頬を歪ませる。

「そうなの〜。ユーシンちゃんは好きじゃないの〜」

「・・・・・・・・・・なにが」

「隊長が。男が」

「・・・・・・俺も、ゼートも、そんなんじゃねーよ・・・・」

「本当にそうかねえ?」

――無言で見上げたクソ野郎の顔は、思ったほど馬鹿にした表情ではなくて、
どことなく俺を透かすように目を細めていた。

奥まった席なのでランプが灯されてあり、そのオレンジ色の光が入り込んで金
色に見える。

その台詞にか、見透かすような目つきにか、俺は飛び跳ねた心臓を押さえて顔
を伏せた。

「まっ、どーでもイイけど」


「おねぇさ〜ん、お酒追加〜」とディルクは何でもない調子で食事に戻ったが、
俺はしばらく硬直したままで熱い皿を凝視していた。







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