第三十二話



俺は申し分の無い朝食に舌鼓を打った後、ゼートから許可を貰って屋敷の庭を
散策していた。大きめの木が多いので心が安らぐ。何かもうすっかり俺ってば
森の人。アイアムオラウータン。

「どうすっかなー」

俺は手をぶらぶら振りつつ呟いた。一人暮らしをすると独り言が増えるという
のは本当だ。特に動物までいると、そいつらに話しかけたりもするから余計に
口数が増える。森暮らしの後遺症と言うか、もはやクセになりそうな独り言を
零しながら、俺は芝生の上に寝転んだ。

「護衛・・・ねえ・・・・」

朝食の最中、ゼートと交わした会話が頭をよぎる。

『――ああ、お前に部下を一人付ける事にした』

『ハ? いやなに突然』

『メリディアナ吸収まで私には時間が無い。だが、お前を一人にする訳にはい
 かないだろう』

『どこの子どもですか俺は』

『そう深く考えるな、ただの護衛だ』

『じゅうぶん大事だからソレ!』

『帝国内も安全とは言い難いのでな。・・・お前がこの屋敷から一歩も出ないと
 言うなら話は別だが・・・』

『うん俺すごい嬉しい!護衛カッコイー』

『・・・私も出来るだけ時間をとろう』

『いやもう十分だって。あんま無理すんなよ?』

『・・・・あぁ』


言葉通り、ゼートは朝食を食べた後すぐに屋敷を出て行った。想像以上に、重
要な役職にでもついているのかもしれない。それかかなりの・・・・・・・・や、あの
ゼートに限ってそんな、ありえないだろうけど・・・・・・・・・パシリ・・・・?

芝生を転がりつつうんうん唸っていると、目の前が影って誰かが立っているこ
とに気が付いた。何気なく顔を上げて、俺は緑溢れるのどかな中庭から瞬時に
万魔殿に叩き落される。

「よォ」

かつて俺という名の精神世界を蹂躙し、破壊し尽した魔王が復活を。誰か、誰
か早く勇者様をお連れして。俺の心を守って。

声も無く口をパクつかせる俺を見下ろして、魔王はニヤァっと邪悪に笑った。
その顔としゃがみ込む動きで脳内にエマージェンシーコールが鳴り響き、俺は
素晴らしい動きで横っ飛びに転がり逃げた。

「なななななななんでアンタここッッ」

金色夜叉のお宮のポーズで魔王を凝視する。間違いない、俺の希望第一位の幻
でも一時の悪夢でもなく、あの男が今俺の目の前に生きて存在している。理不
尽にも呼吸してお天道様の下を歩いている。なんで? なんで天罰が下らない
の? お天道様の目は節穴なの?

大混乱しつつも体はシッカリ後退る俺を、魔王はヤンキー座りで面白そうに眺
める。

「なんでって、そりゃぁお前がここに居るからだろうよ」

「!?!?」

何コイツ堂々ストーカー宣言? 

その台詞に、俺は男としての矜持も体面も何もかもを放り捨てて叫びを上げた。

「イバンさんイバンさんイバンさん!!!不審者不審者変質者ーーーーッ!」

目を丸くする魔王の後ろで、通りすがったらしい庭師のオッサンがびくっとし
て俺達を見る。そして少し戸惑った様に左右を見回して、小走りで屋敷まで去
っていった。酷い、俺を残して逃げないでくれ。俺も一緒に連れてってくれ。
正直、ちょっと、腰が抜けてるんだ。

「――ほ〜ぉ、随分威勢がイイんじゃねぇの? 変質者、ね〜」

のっそり立ち上がった魔王は、一歩で俺との距離を詰めると、真上から俺の顔
を見下ろしてきた。俺の体はすっぽりと魔王の影に入ってしまって、心の中も
闇に覆われた気分になる。

「おおおおとこにぶちかますような人間は変質者にまちがいありません」

上手く回らない舌で威嚇すると、魔王はハンと鼻を鳴らして口の端を上げた。

「ぶちかますってナニを?」

「くちにだすのもおぞましいわ!」

「なんならもう一回やってやろうか、」

「ひぃぃいいい寄るな触るな生きるな!!」

「・・・・・てめえ・・・」

「お、おれは変態に屈したり―――」

腰を屈めて俺の首を鷲掴んだ魔王に、一瞬謝りそうになりながらも何とか自我
を保つ。だって俺は何も悪くない。言いすぎた感は無きにしもあらずだが、そ
れが俺の正直な気持ち。人って案外簡単に殺意を抱けるモンなんだな。

「隊長もどんな教育してんだ。恩人に向かって死ねたぁ随分なガキだな」

「アンタなんかに受けた恩はねえ!」

「迷子の迷子の子猫ちゃん、お前は脳ミソも子猫並か?」

「なんでその歌知ってんの?!」

「何の話だ」

傍目から見れば賑やかな会話、内実は俺の命をかけた遣り取り。何かと気にか
かる部分はあるが、今の、いや人生の最優先事項は如何にしてコイツから逃げ
るかだ。

眼を逸らした瞬間に全てが終わりそうなので、見たくも無い男の薄い目をギリ
ギリ凝視し続ける。もうアレだよ、異世界人の特権とかで視線で人が殺せたり
しないのかな。


瞬きする隙さえ惜しまれて、俺の眼にうっすら涙の膜が張り始めた頃、俺は神
の慈悲を見た。


何故かちょっと目を見開いている魔王の後ろから、太陽の光に包まれたイバン
さんの姿が。・・・・・・・ああ、神様・・・。

「―――如何なさいました、ユーシン様?」

不思議そうに俺を見たイバンさんは、緊張が途切れて地に倒れ臥した俺から魔
王に目を移して、これまた不思議そうに爆弾発言をかました。

「ディルク様、何かございましたか」

「いんや、なんにも?」

「左様で・・・・・・・、・・・・ユーシン様?」


この世に神など居ない。


なになに何でイバンさん変質者に様付けしてんの? いつからゼートじゃなく
て魔王の配下に下っちゃったの? え、なにコレ四面楚歌?

裏切られた気持ちに溢れた視線をイバンさんに向けるが、イバンさんは落ち着
いた様子で俺に手を差し伸べてくる。うう、そんなロマンスグレーな仕草で騙
されたりはしないぞ。イバンさん、貴方は魔王の手先なんだろう。このショッ
カー。いや中ボスっぽいからバルタン星人め。

ぐちゃぐちゃと纏まりの無い思考が錯綜する中、諸悪の根源たる魔王がだるそ
うに欠伸をしながら俺を見た。

「で? どうする?」

「・・・・な、何を」

「お前が帝都見てまわりてえっつったんだろ」

「は?」

本気で意味が判らないので、思わずイバンさんに救いを求める。イバンさんは
地面に置いた俺の手を丁寧に持ち上げ、格好よく胸ポケットからハンカチを取
り出すと、汚れた俺の手をさっと拭った。

「申し訳ございません、ユーシン様はディルク様をご存知なかったのですね」

「知りたくもないですが」

「んだとコラ」

ぽろりと零れた本音に、魔王、もといディルクが低く突っ込む。俺はそれを正
義の名の下に完璧にスルーして、イバンさんの濃い灰色の眼を見つめた。


「ディルク様は、旦那様の手配された護衛の方です」


わー、イバンさんの眼の色って、まるで俺の心の天気みたい。


耳が拒絶するようなご説明がイバンさんの口から飛び出した気がするが、俺には
何にも聞こえなかったなあ。護衛って何だったっけ? ああそうだ、護衛って
いうのはブルジョワ階級の人々を守るお仕事ですよね。俺みたいな庶民にはミ
クロどころかナノも関係無い人間ですよね。ああ良かった、じゃあ俺がここに
居る理由なんて何にもないや。

俺は呪われた人形の如くかくかくした動きで立ち上がると、イバンさんだけ
を視界にいれつつ屋敷の方へ体を向けた。

「イバンさん、俺、ものすごく人見知りなんで人込みなんて行ったら速攻ぶっ
 倒れちゃうし、大体アレですよね、居候の分際で観光なんておこがましいん
 ですよ。そんなふしだらな真似俺には出来ませんよ。なので、俺これからし
 ばらく引きこもりますね!」

澱みなく言い切って、俺は青軸の間へとスタートダッシュを決めようとした。


が、


「・・・・・・なぁに言ってんだ? お前が、お外に出たいってねだったんだ
 ろ・・・・・?」


いつの間に後ろに来ていたのか、俺の強張った肩にでかい手の平が乗せられる。
ギリッと鳴る骨の悲鳴が聞こえたような気がしたが、それよりも俺の心ほうが
絶叫を上げていた。

「ご命令通り、嫌ってほど楽しませてやるよ・・・・」

――笑い声が聞こえたら、後ろを振り向いてはいけない。

昔、姉ちゃんから聞いた都市伝説のフレーズが頭をよぎる。大丈夫だよ姉ちゃ
ん、振り向こうにも体が動かない。

「じゃ、ちょっくら千階門〈センガイモン〉辺りぶらついてくるわ」

「お気をつけて行ってらっしゃいませ」


イバンさんの完璧な礼で見送られ、俺は背後の魔物にずるずると引きずられて
いった。





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