第三十一話


――何かが俺の頬に触れている。ちょっと俺眠いんで邪魔なんですけど。

妙にこそばいその感触に、俺は唸りつつ手を伸ばして押しやろうとした。
しかし俺がどかす前にその何かが遠ざかり、俺の体がほわりと温かくなって
フワフワに。え、何これ気持ち良いかも。

頬に触れる猫のような毛ざわりに擦り寄ると、俺の髪にも何かが触れたような
気がした。そのなんとも言えない心地よさに、俺の意識は微睡みから熟睡へと
スムーズな移行を開始する。ああ何だこの気持ち良い感触。たまらん。


ほんの一瞬、ひやりとしたものが頬に触れた気がしたが、それも覚醒を促すこ
とは無く。





*






胃が気持ち悪い。何でだ? ああ、腹が減ってるんだ。

空腹で目を覚ますと、うつ伏せになった俺の顔は水色の枕に押し付けられてい
た。道理で息苦しいハズだよ。寝汚い自分に呆れつつ寝返りをうって横になる
と、大きく口を開けて欠伸をした。腹は減っているがどうにも体がダルいので、
そのまま視線を彷徨わせる。白い薄布に透けて光が差し込み、俺の周囲は清潔
な色合いに輝いていた。


・・・・ひかり?


何故夕方に屋敷に着いて白い光が差し込んでいるんだ。 いやその前に何だこの
白い薄布。すごく見覚えがあるどころか無かったコトにしたはずの代物。


「・・・・・・・・・ッ!?!」


恐る恐る起き上がって、俺はまたベッドに逆戻りしそうになってしまった。
だだだだだってどうして俺お姫様ベッドで寝てんの?何で朝になってんの?俺
はいつの間にこんな妖精郷に迷い込んでしまったの?

ぐるりと白い薄布で囲まれたベッドの上、身動きをとるコトさえ憚られて硬直
する。ばくばくと鳴る心臓に微かに手を動かして、俺は覚えのある滑らかな感
触を感じゆっくりと視線を下に降ろした。既にくしゃくしゃに丸まってはいる
が、おそらく俺が包まって寝ていたのであろう白い毛布が手に触れている。い
や、それは毛布と言うよりもまさしく毛皮の如き艶やかさだった。これが昨日
頬に感じた猫のような感触なのだろうか。そっと持ち上げ頬ずりしてみれば、
これぞベルベット、まさしくシルクのような滑らかさだった。

そのあまりの心地よさに無心で頬を摺り寄せ続けた俺は、突如響いた人の声に
体を跳ね上がらせた。

「――入るぞ、ユーシン」

扉の向こうから聞こえてきたのはゼートの声。なんだか懐かしいような気さえ
したが、まだ離れて半日程度しか経っていない。

とりあえず俺は毛布に夢中になっていた姿を見られずにホッと胸をなでおろし
た。もし見られていたら奇声をあげて走り出すところだ。

心臓は未だ吐きそうなほどバクついてはいるが、何とか声を振り絞る。

「ど、どうぞ」

律儀に俺の承諾を待っていたゼートは、音も無く部屋の扉を開いた。

「・・・まだ寝ていたのか」

お姫様ベッドの上にへたり込む俺を薄布ごしに見て、ゼートは少し声を潜めた。
いいえ、目はこれ以上無いくらい冴えていますよ。心臓も元気に脈動中。

「や、そんなこと無いけど」

のたのたとベッドの上を這いずって薄布を持ち上げる。クリアになった視界で
見上げれば、ゼートは昨日と変わらずきっちりとした衣服に身を包んでいた。
朝っぱらからよくもまあそんなモン着ていられるな。帰宅した瞬間にジャージに
着替えていた俺には到底真似できないよ。

「朝食の用意が出来ている」

ゼートは薄布を寄せて俺に手を差し出した。反射的にその手を取ってしまい、
瞬時に激しい後悔の嵐に飲み込まれる。おいおい何その「お嬢さんお手をどう
ぞ」は。そして何掴まちゃってんの俺。一晩のうちに身も心もお姫様になって
しまったのか?お姫様ベッドの呪いか?

最近自分が自分で無いような気がして、俺はふらつく体をゼートの手に支えて
貰ってベッドから降りた。結局お世話になってんじゃねえよ俺。

寝起きのせいか諸々の感情のせいか、重い頭をふってゼートを見上げる。

「俺いつの間に寝ちゃったんだろ、」

「私が夕食の迎えに来た時、お前は既に東屋で眠り込んでいた。疲れているよ
 うだったから起こさなかったんだが」

「え、何でゼートが迎えに来たの?」

「丁度夕食時に戻ったのでな。イバンと代わった」

「へぇ、そう・・・それはどうも・・・・」

妙に歯切れの悪い俺を、ゼートが目線で問いかける。

「・・・・えぇと、ゼートが俺を運んでくれたの? そしてコレに、寝かせた
 の・・・?」

「そうだが」

何と言っていいものか、ここは礼を言うべきなんだろうがどうも言いにくい。
アレで眠るのはもうちょっと心の準備が必要だった。

微妙な顔でゼートを見つめると、ゼートはほんの少し首を傾げた。無言で見返
されたその瞬間、俺の腹が切なく唸る。

「・・・・・・そろそろ行くか」

ベタなタイミングで鳴りやがった腹を押さえると、ゼートがおかしそうに目を
細めた。もはや何も言うまい。

顔を洗ってそそくさと部屋から出ようとした時、ふと思い出してゼートを振り
返った。

「おはよう。それにお帰り」

瀬田家家訓その二、挨拶は心の窓。唐突な俺の言葉に立ち止まったゼートは、
微かに表情をやわらげて応えた。


「・・・ああ、お早う」








<back      next>