第三十話


「長旅でお疲れでしょう。直ぐにお部屋までご案内致します」


イバンさんはゼートを見送ったままぼうっとしていた俺を、それはもう丁寧に
屋敷へ案内してくれた。けどね、確かに疲れてるといえばそうだったんだけど
ね、んなモン玄関くぐった瞬間に吹っ飛びましたよ。何だこの上品かつ重厚な
お宅は。ゼートが主人だからか華やかさとかは全然無いんだけど、こげ茶色と
黒と深緑で統一されててすげえ高級感が漂っている。俺の足が二の足を踏んで
いる。

「どうかなさいましたか?」

ピタリと動きを止めた俺を、不思議そうにイバンさんが振り返った。すいませ
ん、なんか見えない壁が俺とこの屋敷との間に立ちふさがってるんです。

「い、いえ、何でもありません」

取り繕ったような俺の笑顔に微笑み返したイバンさんは、またゆっくりと歩を
進めながら口を開いた。

「失礼とは存じますがひとつお伺いしてもよろしいでしょうか」

「あっはい、何でもどうぞ!」

「ユーシン様が旦那様とお会いになられたのは何時頃のことでしょうか」

「え? あー、そうですね、去年の秋の終わり頃かと」

「左様でございますか。私も長年旦那様にお仕えして参りましたが、あの様な
 旦那様のお顔を拝見したのは初めてでございます」

「は、はあ・・・」

あんな顔ってどんな顔。何となく深く追求する気にはなれなかったので、俺は
廊下から見える庭の木々に遠く視線をやった。いやあ良く手入れされた立派な
お庭ですこと。花は少なく基本的に緑一色の庭園だったが、むしろそれが剪定
の見事さを際立たせている。コンクリートジャングルに育った俺だが、この世
界に来てからは腐るほど緑を見てきているので目に自信は無きにしもあらず。
その俺が言おう、この庭木たちは生き生きとしている。って何熱く語っちゃっ
てんだ俺。

「こちらがユーシン様にお使い頂く“青軸の間”です」

ハッと我に返ると、にっこり笑ったイバンさんが扉を開けて俺を見ていた。
・・・・あれ? 普通部屋に名前なんてありましたっけ?

「―――え。」

あおじくのまってナニ。とか思いながら部屋に視線を移して、今度こそ俺は絶
句した。いや別に広すぎるワケでも無いし色も紺色と水色で良い感じだし文句
の付けようも無いんですが。
ただその、一つだけ。一つだけ言わせてください。 俺があれで寝るなんて何か
の間違いじゃないんですか。だってアレ、だってアレは、アレはまさしく姉ち
ゃんが欲しがっていた、伝説のお姫様ベッド。少女の永遠の憧れ、プリンセス
ベッド。そこに横たわるのは俺、二十歳のモンゴロイド。

・・・笑えない光景、笑えない冗談ですよ・・・。

「この青軸の間には専用の中庭がございまして、それが命名の由来となってお
 ります」

せんようってもう、だからもう。既に色々とお腹一杯だったが、ノロノロと庭
に面した窓に目をやると、外は一面淡い白と緑で溢れかえっていた。

「・・・すげ――・・・」

ここに来てからもうアホの様にこればかり繰り返してる気がするけど、それし
か出てくるものが無いんだから仕方が無い。人間感動した時ほど単純な表現し
か出来ないモンなんだ。俺の語彙不足とかそんなんじゃないんだ。

「お気に召されましたか」

イバンさんの言葉に黙って頷く。この部屋に続く小さな庭は、垂れた枝に薄く
白い花の咲いた木でぐるりと囲まれていた。その木が不思議なことに幹も枝も
緑色で、本当に庭の遠近感覚があやふやになるくらい不思議な光景だった。別
に花があろうが無かろうが気にしないけど、これは凄いと素直に思えた。

「この館で最も美しい庭園にございます」

うん、それはそうだろう。真ん中に白く小さい東屋があって、本当に綺麗で可
愛い中庭だ。そう、綺麗で可愛いんだよ。女の子がこんな所に泊まったら一発
でイチコロみたいなそんな部屋そして庭なんだよ。ここの唯一にして最大の異
物がこの俺なんだよ。誰かこの部屋のチョイスはおかしいって気付いてくれよ。

「・・・・あの、イバンさん?」

俺が庭を見つめながら立ち尽くしている間に、テキパキとお茶の準備を進めて
いたイバンさんに恐る恐る声をかける。

「何でしょう」

「・・・この部屋って、客室ですよね?」

大変申し訳ないんですが、もっと地味で質素な使用人部屋なんかにして頂ける
と身も心も落ち着くといいますか。客室なんて立派なモンじゃなくて良いんで
す、俺は狭いところが落ち着くんです。隅っこが好きなんです。居候、もとい
お客様に一番美しい部屋をあてがおうとするそのお心は大変素晴らしいと思う
んですが、俺、適材適所って言葉大好き。

「――いえ、こちらは奥方様のお部屋になりますが、」

「ハイ?!!」

ランクダウンしてくれ以前にランクアップしてる? じゃなくて何今の幻聴?
凄まじい形相で振り返った俺に、イバンさんはちょっと目を瞠ってから苦笑し
た。

「旦那様からのご指示です。警備の面でも安全な場所にございますので」

「・・・・・ゼートが・・・・・・」

そりゃ奥さんの部屋は一番安全だろうけど、たかだか一度助けた程度の男にそ
こまでしてくれなくても。ありがたさと申し訳無さで悶絶しそうだ。これで完
璧に来世を使っても返しきれない恩が出来た。今更だけど。俺はどれだけ借恩
地獄に苦しめば良いんだろう。

ちょっと自分の不甲斐なさに目頭が熱くなったが、イバンさんに勧められるま
ま椅子に座ってふと思った。

「俺がこの部屋使っちゃったら奥さんは何処に?」

思いつかなかったけどゼートももう二十七歳、もしかして結婚とかしてるので
は。ええちょっと驚きというか信じられないような微妙な心境。つか居候が奥
さんの部屋を占拠するってどうなの。

お茶を危うく取り落とすところだった俺に、イバンさんは目を細めて朗らかに
言った。

「旦那様は未だお独りでいらっしゃいますので、お気になさいませんよう」

「・・・そ、そうですか。」

普通の質問しただけなのにこの気まずさは何。

これからお世話になる家の奥さんを気にするのは別におかしく無いよな、うん。
ゼートに奥さんが居ないんなら俺がこの部屋を使わせて貰っても何の不都合も
無いワケで、そこは良かった。うん。

ほっと溜息をついた俺を、何故か微笑ましげに見つめるイバンさん。

「夕食のお時間になりましたらお迎えに上がります。それまでどうぞ、お寛ぎ
 下さい」

その視線の意味を問う間も無く、イバンさんは良い笑顔で退室していった。
一気に静まる室内に、妙に落ちつかない気持ちになって無意味にうろついてみ
る。まるで分娩室の前でおろおろする父親みたいだ。見たこと無いけど。

ゼートの気遣いは痛いほどありがたいので、もうこの部屋に泊まることにそれ
程抵抗は無い。だがそれとお姫様ベッドとは別問題なので、出来るだけ視界に
入らないよう庭へと向かった。



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