第二十六話


ジェードに二人乗りするのもスッカリ慣れてきた今日この頃。俺は今、凄まじ
い葛藤に身を苛まれている。

俺が思うに、本当ならゼートはとっくの昔に帝国に戻っていたんじゃないだろ
うか。けど俺を助けるために、何かしらの理由をつけて帰還を遅らせたんじゃ
ないかと思う。ゼートがどれぐらいの地位にいるのかは知らないけど、流石に
これ以上は引き伸ばせないだろう。軍籍っていうのがどういうモンかなんて戦
争放棄な日本人大学生には判らないけど、規則うんぬんの厳しさとか上下関係
とかは想像できる。だからこれ以上俺のためにゼートの時間を利用するなんて
出来ないって判ってるし、駄目だってコトも判ってる。判ってるよ。頭ではち
ゃんと判ってるんだ。

でも。

だけどどうしても俺は、マーノやナアラ達が心配で仕方なかった。


ゼートと一緒にさっさと帝国に行くべきだという理性と森に戻りたいという感
情の大戦争。もう俺の胃はキリキリ痛んで仕方が無い。これ以上ゼートに迷惑
をかけるのは俺自身が最高に嫌だし、飛んで火に入る夏の虫にだってなる気は
ないから絶対に言わないけど。だけど、押し込めた不安が腹の底でぐるぐるぐ
るぐる蠢いてどうしようも無いんだ。

トリンキュローを出発して五日、俺はそんな葛と藤に絞め殺されそうになりな
がら帝国への道を急いでいた。
一体どんな経路で進んでいるのか、三日目に入ってから少し道が険しくなって
きた気がする。だけどそんな状況でも、俺は周囲の木々に森の面影を見て、ま
すますマーノ達に意識が向いてしまっていた。

「なあ、帝国ってどんな国なの?」

なんとかこの往生際の悪い俺を遠ざけたくて、黙々とジェードを走らせる男に
話しかける。この程度の邪魔は大目に見てくれ。

「・・・帝国は強大な軍事力と技術力、そして各国との貿易によって栄える国だ。
 帝都など、お前が見たことのある街とは比べようも無い」

手綱を持ち直したゼートの声が、頭の後ろから響いてくる。
つまり地球で言うところのアメリカ的な国なんでしょうか。もっと歴史は深そ
うだけど。それともローマ? ローマも同じ帝国だもんね。

「貿易ってことは港があんの? いいね、俺海好きだな。あ、それとも陸路?」

俺の極普通な感想に、何故かちょっと驚いたふうなゼート。

「・・・・・ずっと森で暮らしていた割には、お前には学があるな」

呟いて、じぃっと俺を見下ろしてくる。ええと、俺ってどんだけアホだと思わ
れてたのかな。

「や、別に普通だから」

「・・・・・・・そうか」

いったい今の発言のどこに知性を感じたのか全く判らないので、心底不思議そ
うにゼートを見上げてみたら、ゼートは一瞬目を細めてから顔を前に戻した。

・・・もしかして、この世界の識字率ってそんなに高くないんだろうか。それなら
森育ち設定の俺が貿易の何たるかを知っていたらおかしいと思うよな。でも貿易
イコール港なんて単純極まる発想なんだけど。むしろ馬鹿っぽい発想なんだけど。
この程度で不審に思われてたら俺はこれからどうすれば。俺の演技力なんて、
学芸会の昆布なんだけど。

少し気まずい沈黙に陥ってしまったので、とりあえず違う話題で繋げてみる。

「ええっと、俺ってゼートの家に居候するってコトで良いんだよね?」

「あぁ。私の屋敷は帝都のはずれにある。退屈はしないだろう」

「え・・・・・、ああ、そう」

屋敷って。

かなり良くゼートの暮らしぶりが伺える一言に、ここは突っ込むべきかと逡巡
した一瞬。


「―――伏せろ!」


思いっきり背中を押されてジェードの首に押し付けられた。呆気に取られる俺
の耳に、鋭く空気を裂く音が響く。

「ゼ、」

「そのまま両手を離すな」

顔を上げようとした俺をゼートは厳しく制して、急にジェードを疾駆させる。
何がなんだか判らないまま、俺は必死になってジェードの首にかじりついた。
今まで経験したことのないスピードと、人間の激しい怒声。
ばくばく鳴る心臓の音が、大きく俺の耳を支配している。


そしてそっと薄く開いた俺の目に、勢い良く流れていく景色の中、ゼートの鋭
く光る剣先と、赤い飛沫が映った気がした。









「―――・・・ユーシン、」


どれぐらい走り続けていたのか、ようやくスピードを緩めたゼートがそっと声
をかけてきた。そして俺を起こそうと思ったのか二の腕を掴んでくる。

だけどその瞬間に、俺の体は無意識に跳ね上がってしまった。


一瞬、ゼートの手が硬直した気がした。



「・・・・・すまない」

小さく呟いて、スッと離されるゼートの手。

俺は、違う、と言いたかったのに声が出せなかった。体も油の切れたロボット
みたいに、少しも思い通りにならなかった。


ゼートは何も言わないで、静かにジェードの手綱を引いた。





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