第二十五話


確かにさー、幽閉される前にさー、内乱でポックリ逝っちゃう可能性だって高
いだろうよ? でもさー、あんなに堂々と最期宣言されちゃうとさー、素直に
 「それが彼の姿を見た最後だった・・・」なんてモノローグ付ける気にはなれねえ
んだよな。

これでちゃんと生き延びて帝国に幽閉されたら、何としてでも会いに行って貴
婦人の如く高笑ってやる。





・・・まあその前に、俺が無事宿屋に到着出来るのかが謎ですが。俺あんまり道覚
えるの得意じゃないし、なんだかさっきもあの看板見たような。・・・うーん、迷
子?成人男性が迷子?でもハッキリ言って俺は世界規模の迷子だよね。今更だ
よね。

こうなったらもうどうしようも無いので、軽く開き直って道を歩く。大体壁も
道も白いのがいけない。判りにくくてしょうがない。これは俺じゃなくても迷
うよ、うん。俺が方向音痴なワケじゃない。

白い壁だと曲がり角も見逃しがちで、俺は一つずつ覗いたりしながら宿屋への
目印を探した。出かける時、ゼートに口を酸っぱくして言われたオレンジ色の
看板。全く見当たらないけど。これでもし帰れなかったりしたら二度と一人歩
きさせて貰えなそうだ。あれだけ「俺を信じろよ」とか言っといて結局迷子。
「俺ももう大人だぜ?」とか言っといてやっぱり迷子。

・・・・・・何としてでもこの事実は隠匿せねば。

戻る時間が明らかに遅くなるであろう現状に、俺の頭はゼートへの言い訳で一
杯だった。それがまさに運命の分かれ道。運命は突如扉を叩く。お願い、事前
に連絡して。


気付かずに通り過ぎようとした路地の境目、その隙間から突然出てきた腕に、
俺はあっという間に路地裏へと引きずり込まれてしまった。


後ろから羽交い絞めにされるなど体育の柔道でしか経験のない俺は、ろくな抵
抗も出来ないままガッチリと抱き込まれてしまう。男に。いやせめて豊満な女
アサシンとかそういう選択は無かったのか運命。しかも痴漢に会った女を装っ
て叫ぶという選択肢もしっかり塞がれた口によって不可能となっている。どこ
までも俺が嫌いなんだな運命。俺お前に何かした?


「よォ」


・・・・・・・うん、公子様。貴方が考えたのとは違うパターンでもう二度とお会い出
来そうもありません。つまり俺が死ぬ方向で。


忘れようとも忘れられない換気扇の油汚れの如く俺の海馬にこびりついた男の
声がする。あーこりゃ聞き間違いだ世界には似た声の人が百人はいますからね〜
という俺の生殺与奪をかけた可能性も、後ろから覗き込んできた男の顔を見
て粉砕された。死んだ。俺は今ここで死んだ。

「つぅかお前迷子だろ。あの宿屋と此処は正反対だぜ〜?」

そして衝撃につぐ衝撃。正反対って。もはや弁解の余地も無い、俺は方向音痴。

しかも変質者に指摘されるとは、なんと言う屈辱、なんと言う悲劇。もうおう
ち帰りたい。

凄まじい精神攻撃の連続にもはやダウン寸前だったが、これはまだまだ恐怖の
始まりにしか過ぎなかった。

「世話の焼ける子猫ちゃんだなあ?」

みみみみみ耳元で囁かないで下さい、息、息が、生暖かい息が。ガタガタと震
えだした俺の反応を楽しむ様に、ワザとらしく吐息交じりの低い声で囁かれる。

おっちゃんちのミヨコ、今度お前が雀を弄んでいたら、いっそ一思いに殺して
おやりと諭してやろう。捕まえた獲物で遊んじゃダメだよ、痛すぎるから。

「ぐうぅ、ん゛―――!!」

もうなりふり構ってなどいられずに唸って足をバタつかせるが、そんな俺の儚
い抵抗がまた楽しいと言わんばかりに男の体が笑いに揺れる。ちくしょう、窮
鼠猫を噛むんだぞ。

ただしこの場合、てめえは猫どころか虎なので、果たして鼠の一撃は効果ある
んでしょうか。

「ッン!!?」

俺の持ちうる全ての力で反撃を始めようとした瞬間、濡れた感触が耳を覆って
凍りついた。な、な、な、舐め。俺、舐め?

「大人しくしてりゃ飼い主んトコ戻してやるよ」

完全に硬直した俺の耳に囁いて、男は俺を肩に担ぎ上げた。勿論口ははずされ
ているので助けを呼ぶことは出来るが、どうやって察したのか大声を出そうと
した瞬間に 「黙らされてぇか?」 と言われしししし、尻をも、揉まれてしま
い、俺の反抗心は音速でしぼんだ。いっそ気を失えれば楽になれるのに、そう
したら二度と目覚めない気がする。今の俺という人格が目覚めない気がする。
あなたの知らない世界が開かれちゃう気がする。

そんなワケで夢の世界に逃げ込むことも出来ず、俺は目下生き地獄を味わって
いた。視界は通路と壁の白に囲まれて、本当に不思議な所へ迷い込んでしまっ
たみたいだ。実際知らないんだけど。

とりあえず、さっき通り過ぎたお婆ちゃんの不審げな眼差しに昇天しそうです。
俺は違う、違うんだ。俺は純然たる被害者なんだ。そんな目で見ないで・・・。

マフィアで肉食獣な男は鼻歌なんぞ歌いながらスタスタ進んでいく。目の前の
背中に鼻水でもつけてやろうかと考えていると、どこか遠く人のざわめきが聞
こえて来た。

「――ハイ到ォ着」

「ぅぅおッ?!」

いつかを彷彿とさせる様にまた視界が反転し、俺の足は懐かしき大地と再会を
果たす。両腕はまだ掴まれたままだけど。なんか密着してるけど。

必死で男と目を合わせない様にしながらざわめきの方へと首を回せば、道の終
わりから人々の行き交う姿が見えた。マジで送ってくれたのかこいつ。

でも絶対に礼は言わない。まだまだ俺の被った精神的苦痛には遠く及ばないの
で。償いきれない大罪なので。

限界まで首をひねって男から離れようとする俺に、男はくつくつとおかしそう
に喉を鳴らして顔を覗き込んできた。知らず、俺の息がヒュッと止まる。

「次は首輪でも付けとくんだな」

にっと口の端を上げてそう言ったかと思ったら、男は俺の体をくるりと反転さ
せて出口のほうへと強く押した。何の構えも出来ていなかった俺は、危うく転
びかけて慌てて体勢を整える。そして勢い良く後ろを振り返った時には、もう
男の姿はどこにも無かった。



まったくもって理解不能な男との邂逅に、俺の心身は限界に近いほど疲弊しき
っていた。何でこう悪い出来事ってのは立て続けに押し寄せてくるんだろう。
禍福はあざなえる縄の如しっていうけれど、ここ最近の俺って、禍福の縄じゃ
なくて禍のリボンかなんかで雁字搦めにされてるんじゃないだろうか。


男から押し出された通路の真ん前に、あのオレンジの看板は鎮座していた。そ
れを死んだ魚の瞳で見つめて、俺はのろのろと宿屋への道を歩いた。







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