第二十二話


何だ何だなんだアレは何がなんでなにをナニ?体はすっかり冷え切っていたが、
浸かりなおす気になど到底なれない。夕飯がまだで良かった、今頃吐いてる。
正直今まであった事件をある意味超えた衝撃。なんのオカルトなのコレ。凄ま
じい嫌悪感で俺の視界は涙で一杯、我慢する気にだってならない。これは男と
して泣いたっていい時だと思うんだ親父。

どうやってか記憶に無いが、気が付けば俺は部屋の前まで戻ってきていた。ふ
らつく足取りで扉をくぐれば、ゼートも既に戻っている。

「ユーシン、どこへ――」

振り返ったゼートの言葉が不自然に途切れた。一瞬目を瞠ったかと思うと、焦
った様な顔で近づいてくる。

「何があった」

ゼートに肩を掴まれながら詰問された。え、一目見て判るほど俺異常?
ぎこちなく首をひねって姿見を見れば、そこには真っ青な顔で泣く寸前の不気
味な男が映っていた。

「・・・・・ぁ、ぉれ、」

応えようとすれば、更に哀れっぷりを強調するかの様に声がひっくり返る。

・・・全世界の女性の皆さん、俺はこれから一生優しく誠実に接していくことを心
の底から誓います。全世界の婦女暴行犯、魂の底から百万回死に腐れ。

そんな宣誓と呪詛も言葉に出来ない俺を見かねたゼートは、抱える様にしてベ
ッドまで連れて行ってくれた。そしてゆっくり座らせると、背中をそっと擦っ
てくれる。うう、まともな人間の優しさが身に沁みる・・・。

「一体どうしたと、」

すまん、男のプライドにかけて口が裂けても言えねぇ。

心配げに覗き込むゼートからさりげなく視線をそらし、俺は深呼吸を繰り返し
た。犬に噛まれた犬に噛まれた犬にちょっと舐められたそれだけ。ヨシ。

「・・・や、もうほんと、何でもないから」

「何でもない筈がないだろう。そんな顔をして」

「本当に大したことじゃないって」

「だが、」

「ごめん思い出させないでくれ」

「・・・・・・・・・・・・・判った」

俺の断固とした黙秘権行使の姿勢に、眉間に深い皺を寄せたゼートはしぶしぶ
といった様子で身を引いた。ごめん、その気持ちだけありがたく受けとっとく。

「・・・随分冷えているな」

今だ青ざめているであろう俺の頬に手の甲を滑らせて、ゼートが低く呟いた。
そりゃあね、体中の体液も凍りつくってなモンですよ。ほんと人生って何があ
るか判らない。出来れば一生知りたくなかった境地。俺日本に戻れたら新興宗
教でも開けるくらいに悟っちゃってる。

「何か、温まる物でも貰って来よう」


とっさに、立ち上がりかけたゼートの腕を掴んだ。


「・・・今戻ってきたばっかじゃん。いいから、何か話そうよ」

自分でも驚きの早業だったが、ゼートの目も軽く見開かれている。ええとそう、
そうだよ。ちょっとここらで状況整理させてくれ。

「もう何も秘密なんて無いんだしさ、あんたが公子様と知り合いな理由とか、
 色々。教えてよ」

ゼートはしばらく無言で俺を見下ろしていたが、何故か溜息をついて俺の横に
腰を降ろした。

「・・・判った。だが、まずはお前が横になってからだ」

その台詞と同時、倒された体にバサリと布団が被せられる。

「何が聞きたい」

もそりと頭を出した俺の髪をいじくりながらゼートが訊ねた。

「あー。ゼートはさ、何で公子様と知り合いなワケ?帝国の間諜なのに」

「それは公子が内通者だからだ」

「・・・はぁ?」

予想外の答えに体を起こしかけたが、髪をいじる手で押さえ込まれる。いや、
せめて言葉で制止してくれよ。別にいいけど。今はそんなことよりも、

「何で公子様が自国を売るのさ」

アホだろ。

「・・・・この国は五年前に代替わりをした。先の大公がユーリック公子の父君、
 クリストバル。そして幼く病弱な公子に代わり、その後を継いだのがクリス
 トバルの弟・ブラウリオ―――――お前を攫った男だ」

え。

「クリストバルの死は突然だった。公子がブラウリオを疑うのも無理はない。
 公子は国と引き換えにしてでも、ブラウリオに復讐したかったのだろう」

そんな、

「この国は、内から滅びる」

何だそれ。

「それはおかしいだろ!や、親毒殺される気持ちなんて判んないけどっ、だから
 って、国をどうこうして良い理由にはなんねーだろ!?」

「国が滅びると言っても、公爵家が滅び、帝国に吸収されるだけだ。
 むしろ公爵家の自滅によって、戦争は免れる」

「じゃあ、ゼートは、そのために・・・?」

「あぁ。利害の一致だ」

俺は淡々と語るゼートの横顔を呆然と見上げた。
確かに、その方が無駄な労力を使わずに、国土を傷つけること無くこの国を手
に入れられるだろう。地球でも、昔からたくさんあった争いの形だ。

だけど。

「・・・・それじゃあ、公子様はどうなるんだよ?」

自国を売って、自分の一族を滅ぼしたら。それは。

「・・・帝国としては、協力の見返りに生涯幽閉という見解が出ている」

「幽閉ってそんなの、」

「本来なら直系男子として、極刑は免れないところだ」


・・・まだ、子供なのに。

遣り切れない気持ちで一杯になって、思わず唇を噛み締める。昼間見た公子様
の儚い微笑みと、金茶の男・・・・ブラウリオに似た薄暗い緑の目が頭をよぎった。





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