第二十話


屋敷から飛び出して、広い庭に辿りついた。入ってきた所と違うから、出口が
判らない。全力で走ったのなんて久しぶりだから、呼吸が苦しくて涙が滲んだ。

よろよろと庭の木々の密集した隙間に座り込む。すげえ疲れた。何してんだろ
う俺。思いっきり走って一人になったらなんか落ち着いてきたというか自分の
有り得なさに気付くというか。ショックで走り出すって俺は乙女か。硝子の十
代でさえねぇよ。

もう何もかもがショック過ぎて膝に顔を埋めていたら、微かに草を踏みしめる
音がした。少しだけ隙間から覗けば、黒い皮の足先が見える。
あぁ。


「―――ユーシン、」

左肩にゼートが手を置いた。その瞬間、また勝手に口が喋りだす。

「爺さんがそんなモン作ったなんて嘘だ、爺さんの作ったモンで人が死んだな
 んて嘘だ、爺さんが人を殺したなんて嘘だ」

右肩にもゼートの手がかかる。

「爺さんはそんなことしてない爺さんに人なんて殺せない爺さんは俺を助けて
 くれて死んだって俺を助けてくれて爺さんは皆を大切にしてて爺さんは爺さ
 んは爺さんは」

「ユーシン」

しゃがみ込んだゼートに引き寄せられて、ぎゅうっと抱え込まれた。

「判っている、ユーシン」

その言葉に、喉がひくりと引きつった。思いっきり、ゼートの胸に拳を叩きつ
ける。その勢いでゼートの胸から顔を引き剥がして、叫んだ。


「俺はあんたのことなんて何も知らない!!」


滲んだ視界の中、微かに目を見開くゼートが見えた。


「何であんたあそこに居たんだ何であんた公子と知り合いなんだ何であんた俺
 を助けてくれるんだなんで、―――あんた、何なんだ・・・・!」


今まで溜まっていたものが全て噴き出していく。そのまま顔を伏せようとし
て、ゼートに阻まれた。でも今、ゼートの目なんて、見れるワケなかった。


「こちらを向け、ユーシン」

ぐいっと仰向かされるが、視線は泳ぎっぱなしだ。ごめん今の無しで。

「・・・そうだな、お前が私を信じられんのも無理はない」

「ッや、ちがっ」

自嘲気味に呟くゼートに慌てて待ったをかける。違うんだよ、癇癪起こしたガ
キみてーな自分が居た堪れなかっただけで決してそんな理由で目を合わせな
いんじゃ無いんですよ。確かにずっと思ってたコトだけど別に信じられない
とかそういう問題ではなくて、いや、それもなきにしもあらず?

どう弁解すべきかとパニクる俺の視界に飛び込んできたのは、薄く笑ったゼート
の顔。

「判っている、と言っただろう」

・・・・・。・・・あんた、あんたいつからそんな意地悪くなったんだ。

唖然とゼートの顔を見つめていると、ゼートがふっと表情を消した。いつもよ
りももっと無表情で俺と目を合わせてくる。なになになになに。コワ。

「・・・・私が何者なのか。聞いて、後悔しないか」

「・・・・・・・・・・・・」

・・・ええー。そんなコト言われた場合って、大抵後悔するパターンが多いんだよ
ね・・・。

でもハッキリ言って、今更じゃね?

「暗殺者でしょ?」

後悔も何も、想像はついてるよゼート。

「・・・・・・なぜ、そのような、結論が出る?」

もう心構えは出来てるぜどんと来いなのに、何故かゼートはぐっと俺を掴む手
に力を込めた。い、痛い痛い。視線も痛い。

「私は帝国の・・・・・・、間諜、だ」

少し目線を逸らしたゼートがぽつりともらした言葉に、俺の眉がひそめられる。

――カンチョウ。間諜。え、スパイ?

「それって言っても良いコトなの?」

正体を明かすスパイがどこに居る。そんなんでスパイが務まるのか。心底から心
配して見上げると、ゼートも奇妙な表情で俺を見つめていた。

「・・・・お前は・・・・恐ろしくはないのか?」

「帝国とか間諜とか良く知らねーもん俺」

「・・・・・・・そうか」

ヘラッと笑いかければ、何故かゼートは複雑そうな顔で俺を見やった。そして
ふっと息を吐くと、また俺の体を緩く抱え込む。


「私も人殺しだ」


耳のそばで小さく零された言葉に一瞬、体がはねた。想像してたコトだけど、
本人から肯定されると生々しい。

「お前は、テネスとやらが毒を作り、そして人が死んだことを、信じられない
 と言ったな。恐ろしいのだろう?人殺しが」

確かに俺は、爺さんが人殺しなんて信じられない。でもそれがどうしてなのか、
人を殺すことが信じられないんじゃ無くて、爺さんと殺人が結びつかないんだ。
だってあの爺さんが。

人を殺すって、なんだ。

「私は軍人だ。必要があれば、人も殺す」

わからない。

「恐ろしいだろう、私が」

わからない。
だって、殺人なんてテレビの向こう側の問題だった。

爺さんは違うと思ってるのに、あんたがそうだとしても、俺は。
爺さんとは違うんだ、感じることが。人を殺すのは怖い。けど。


俺は、矛盾してる。




「・・・わからない」

頭の中がぐちゃぐちゃになって、判らないことだらけで。ただ強くゼートにし
がみついた。

「―――そうか」

そんな情けない俺の態度にも、ゼートはそれ以上何も言わず、黙って俺を抱える
腕に力を込めた。





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