第十九話


「公子、失礼する」

それでいいのか?みたいな挨拶でゼートが扉を開けた。その向こうに広がって
いたのは、優しいクリーム色の部屋。公子様の部屋っつーからもっとキラキラ
しいのを想像していたのに。


「お久しぶりですね。ゼート殿」


この部屋みたいに柔らかい声がして、目を向けた先にはいかにもな天蓋つきの
ベッドが。その薄い布越しに、誰かが起き上がる姿が見えた。

ええ?寝てるところお邪魔したの俺ら?

ありえない無礼っぷりに腰が引けたが、肝心の公子様はスルスルと天蓋のカー
テンを開けている。上流階級の考えなんて所詮庶民には判らない、俺だったら
素晴らしい罵声を浴びせかけそうだ。

「このような姿で申し訳ありません。どうぞ、お掛けになって下さい」

薦められるままにベッドの前にあった椅子に座る。いやほんと、何でこんなフ
レンドリーなの?謁見の間とかそういう所で待たされんじゃないの普通。もう
ゼートに普通を求める気なんて起きないけど、公子様までっつーのはちょっと。

もちろん面を上げいとか言われるまでもなく、ナチュラルに公子様のお顔とご
対面。想像してたより幼くて驚く。見た感じまだ16歳ぐらいなんじゃないか。
綺麗な茶色の髪が緩やかにうねっていて、優しそうな緑の目がいっそう公子様
を幼く見せている気がした。・・・それになんだか少しだけ、顔色が悪いような。
もしかしてこの子、病気なんだろうか。

「貴方が直接いらっしゃるのは、あまり歓迎できることではありませんが」

・・・微笑みながら知人に言う台詞かそれ。優しげな公子様の口から飛び出た
辛辣な言葉に目を見開くが、言われた当の本人は普通に返している。

「今回はそうも言ってられん」

「なんでも、叔父上に不審な動きがあったとか?」

「ああ。後を追ってみれば、私の恩人が捕らえられていた」

「あの叔父上がわざわざ足を運ぶとは、一体何のために」


目の前で流れる様に進んでいく会話に口を挟むことなど出来ず、俺はただ二人
の様子を眺めていた。だってなんかおかしいよこいつら。知人って言うわりに
全然仲良さそうじゃないし、第一俺を拉致った親父のこと“叔父上”とか呼ん
でなかったか公子様。しかもゼート、あの親父を見張ってたっぽいコト言って
るし。何者なのあの親父。そしてゼート。つーかお前ら何なんだ一体。

「・・・・・・・・・・・」

・・・今まで聞けなかったけど、ゼート、あんたいったい何なんだ?俺はあんたのこ
と何も知らない。知らないよ。俺が聞いたら、あんた、答えてくれるのか。

椅子に置かれたゼートの手に目をやりながら悶々と考え込んでいたら、公子様
の驚愕した小さな叫びが聞こえてきた。

「“メリディアナの涙”・・・・?!」

あれ、もうそんな話になってらっしゃる。ごめん当事者なのに内に入り込ん
でて。最近どうも根暗になっていかん。
顔を上げて見ると、王子様は目を見開いて俺を凝視していた。

「あなた・・・、ユーシン殿、それは真ですか」

すいません聞いてませんでした。

「は、はい。テネスっていう人の弟子だと勘違いされて、それで・・・」

「テネス老師・・・・・。そうか、あの方なら・・・」

驚いていた公子様はぶつぶつと一人納得している。俺達にも判るように説明し
て欲しい。だからといって公子様を急かすなど俺には出来ないので、ゼートに
視線で訴えてみる。

「“テネス”に“涙”。公爵家と何の関わりがある」

ナイスなゼートの問いかけに、公子様は眉を寄せて視線を落とした。

「テネス老師は叔父上の家に仕えていた高名な薬師です。確か、8年程前に行
 方知れずになった筈ですが、二、三度お会いしたことがあります」

・・・爺さんが、薬師?あの親父に仕えていたって、それじゃあ。

「―――“メリディアナの涙”は、我が家に伝わる御伽噺のようなものです。
 御伽噺とはいっても、存在していたのは事実ですが・・・。既にその原料となる
 花も絶え、生成法も葬り去られた今となっては、まさに幻の――」

そこで沈黙して、公子様はゆっくりと顔を上げた。

その、目。

あの、金茶の髪の男と同じ、薄暗さが。


「・・・そう、そうだったのですね。テネス老師なら、“涙”を蘇らせる事など不可能
 では無かった。叔父上は、“メリディアナの涙”で、父上を殺したのですね・・・」

え?

「ふ、ふははは、けれどまさか“メリディアナの涙”を使ったとは。それでは
 父上も助からない筈だ」

頬を紅潮させて俺を見つめた公子様は、ゆっくりと口を開いた。

「――“メリディアナの涙”は、完全なる、暗殺の毒薬ですよ!」

ヒュゥッと息を吸い込む音がした。指の先の感覚が無い。目の前が遠い景色み
たいだ。ぐるぐるぐるぐる、爺さんの顔が頭に浮かんでは消えていく。俺が初
めて作った料理を見たときの顔、間違ってヤギを放してしまったときの顔。ナ
アラとじゃれあう俺を眺める顔。寂しくて眠れなかったとき、暖炉の前で一緒
に起きててくれた横顔。この世界で初めて見た顔。死に顔。


そんな、ばかな。


「ッユーシン!」

気が付けば、俺は走り出していた。体が勝手に動いている。もう何も聞きたく
なんてないんだ、俺の知らない爺さんなんて、全部ぜんぶぜんぶ。
足が止まらない。俺はどこに行きたいんだ?俺は何を知りたかったんだ。俺は
これから、どこにいけばいいんだ?




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