第十八話


爽やかな朝だ。気持ち良い風に晴れ渡る青い空―――駄目だ思い出すな俺。
ゼートのああいう発言は穏やかにスルーするのが一番だ。そしてそのまま忘却。

トリンキュローは俺が思っていたよりも綺麗で穏やかな街だった。湖が近くに
あって染色が盛んらしい。白い家並みが続いていて色んな布がはためいている。
・・・あの屋敷があった町よりも断然こっちの方が好感が持てるな。ただの先入観
の違いかも知れないけど。あの町は二度と行かない。


のんびりと人が行き交う通りをジェードから降りて進む。なんだかこの風景、
どこかで見た様な気がしてならない。世界文化遺産とかで。俺はああいう番組
が何気に好きだったんだが、この世界に来てからはリアルタイムで体験出来て
嬉しいな。・・・なんて思わないでもない。


「で、これから会う人って誰?」

そういえば詳しいことを聞いていなかった。ただゼートの知り合いだというこ
としか。“涙”を知ってるかもしれないなんて、一体どんなやつなんだろう。

俺の質問にちらりとこちらを見たゼートは、直ぐ前を向いて口を開いた。

「ユーリック・エルミナ=ロートシェルヴェン」

長。そして誰?って感じなんですけど。名前だけじゃなくてもっとこう、なん
か他に無いの?

「だから誰それ」

手抜きすぎるゼートの答えに軽く脱力しながらもう一度訊ねた。すると何故か、
ゼートの方が無表情で俺をじっと見つめてくる。な、何だよ。いちいち聞いてく
んじゃねえよとでも言いたいのか。もう遅いぞ。


「・・・・・・・・・この国の公子だ」

「・・・・・・・・・・・・・。」


あれ、もしかしてそれって国民常識問題?


「あ、あー。そういやそんな名前だったっけ。すげえなゼート、あんたそんな人
 と知り合いだなんて!かっけー!」

とって付けたかの様に褒め称える俺。そんな俺を変わらず無言で見つめるゼー
ト。怪しい、怪しすぎる。何でこの国に住んでる俺が知らないんだっつー顔で
見てるよ。仕方ないだろオンリー森暮らしなんだから。テレビも新聞もラジオ
も無いんだから。そしてこの世界では俺一歳ですから。

ゼートと公子の関係も気になったが到底口に出せる空気ではなく、そのまま俺
達は無言で通りを進んでいった。






「マジでここに公子様が居るの?」

「ああ」

着いたのはそれなりにデカいし豪華だけど城でも何でもない只の屋敷。普通公
子様っつたら城でかしづかれて生活してるイメージなんだけど。それにこんな
穏やかな街じゃなくて首都とかそーいう所で。ちょっと意外だ。
そしてもっと予想外なのはゼートの行動で、なんか普通に裏に回って入り込ん
でんですけど。やめてくれよ俺本物の犯罪者にはなりたかねぇよ。つか何で見
回りっぽい兄ちゃんも止めないの?そんなんで公子様守れんの?しかもなにジ
ェードまで預かちゃってんの。大体表から堂々と入っていけない知り合いって
なに。

俺が軽く恐慌に陥っているなど露知らず、ゼートは真っ直ぐ進んでいく。現在
位置は屋敷の2階、西の端だ。あまり使用人の数は多くないのか、これまで2
〜3人としかすれ違ってない。本当にここに公子なんつー偉い人がいらっしゃ
るのか。ていうかこんな立派な屋敷を見ると、ちょっとだけあの屋敷を思い出
して嫌な感じがするような。雰囲気なんかは全然違うんだけど、造りとか似た
ような所もあるし。というわけでさりげなくゼートに近寄る。これはもしや豪
邸恐怖症とかになっちゃったのか俺。

「どうした」

ほんの少し後ろを付いて来ていた俺が隣に並んだので、ゼートが横目で俺を見
た。とりあえず首を振って何でもないと言っておく。ただ自分の心的外傷につ
いて考察していただけなんですよ。うん。


本当に、それだけだと思ったんだけど。


そうじゃない、それだけじゃなくて。あの男が言っていたテネスってやつが本
当に爺さんの名前なのかとか、本当に爺さんがあの親父なんかに関わってたら
どうしようとか。ここに来るまではハッキリと意識しない様にしてた事が、答
えを目前にしたらどっと溢れてきたみたいだ。
もし、もしも、もしも爺さんがあの男と本当に関係があるんだとしたら。それ
を知った俺は。怖いのは思い出させるものじゃない、この先、先にある何か。

ふと、隣を歩いていたゼートが俺の手首をそっと掴んだ。思わず歩みを止めて
仰ぎ見れば、ゼートは前方にある一つの扉を見ている。

「あれが公子の私室だ」

――心臓の音が速くなった。緊張した時みたいに気持ち悪い。俺は何も言うことが
出来なくて、ただ黙って公子様の部屋の扉を見ていた。すると少しだけ、ゼートの
握る力が強くなる。その感触に視線を戻すと、ゼートは俺を見ていた。

「大丈夫か」

静かに俺を見る青い目。それにつられたみたいに、俺の心臓も穏やかになっていく。

「・・・・全然、余裕ですとも」

ちょっと笑って返すことが出来た。すげぇな、青の鎮静効果はピカ一だよ。
ゼートも掴んでいた手を離して、今度は背中を軽く押した。その手に促される
まま歩を進める。そして、綺麗な飴色の扉の前に立った。



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