第十二話


ずっと部屋の隅で膝を抱えて蹲っていた。もうあれから何時間経ったのかも判
らない。澱んだ空気の中で、俺の精神は限界に近かった。ランプの火も消えか
かって、ジリジリと音をたてている。おそらくもう深夜なんだろう、ぐっと気
温が下がってきて、吐き出す息も真っ白だ。

地下牢に響くのは火の燃える音と俺の呼吸、そしてカチカチなる歯の音だけ。
マジで死ぬかもしれない。でもあいつらに殺されるよりは凍死の方がまだマシ
かも。なわけない。死ぬのは嫌だ。マーノの無事をこの目で確かめるまでは死
なねえぞクソ。



眠ることも出来ずにずっと一点を見つめていたら、突然扉の向こうから何かが
倒れる音がした。なにか、人間が倒れたときの様な、鈍い音が。


――待ってくれ。これはあの時と同じパターンじゃないか?


俺の脳裏にあの嵐の夜が蘇る。今度は何だ、今度こそ幽霊?だってここ牢屋だ
よ、無念の記憶とか山ほど染み付いてそうじゃん。勘弁してくれよ逃げ場さえ
ねぇよ。これ以上俺をどうしようっての、もうかなりどん底ですよ、他を当たっ
てくださいよ。

弱り目に祟り目とはこのことですか田川先生。高校の時の現国の先生に思わず
語りかける。完璧に現実逃避入ってきてるよ俺。そんなこと考えてる間に扉ガ
チャガチャいっちゃってるじゃんよ馬鹿。
・・・・・け、気配を消すんだ俺。壁と一体化するんだ。俺は石だ。俺が牢屋だ。

必死になって壁に張り付いていたら、ついに扉が開いてしまった。しかも入っ
てきた人間? は何も明かりを持っていなくて顔も見えない。コワ。

そして迷うことなく俺に歩み寄って来たので絶叫しそうになった瞬間、そいつ
の手のひらで思いっきり口を塞がれてしまった。
こここここわすぎる、爺さん助けて。

今俺の顔は人生でも5本の指に入る程の情けない顔をしているだろう。半泣き
で視界が揺れ、もう寒さじゃなく恐怖で体が震えている。
そっと口から手を離されたが、もちろん声など出るわけがなかった。
ヒュゥッと息を吸い込む乾いた音が鳴るだけだった。


すると今まで黙っていた人間が、小さな声で話しかけてきた。


「―――そう怯えるな、セタ」


・・・・・セタ? 今セタって言ったのか、“板”の発音で。
しかもものすごい聞き覚えのある声なんだけど。

必死に目を凝らして見ると、少しだけ顔立ちが見えてきた。
思わず顔をガッシリ掴んで凝視してしまう。青い目。あの男だ。

「な、なん、ここ、」

驚きすぎて声が出ない。寒さでも恐怖でもなく、男の顔を挟む手が震えた。
男はそんな俺の手をそっと掴んで降ろさせる。

「静かにしていろ」

ただ何度も首を縦に振ると、男は俺の足へと目をとめて微かに眉をひそめた。
そしてすぐに俺の腰へ手を伸ばしたかと思ったら、視界が180度回転。

「?!!」

男は俺を左肩に担いだまま、暗闇の中を駆け抜けていく。え、や、何で?
かなり降ろして貰いたかったが、揺れが激しくて迂闊に口を開いたらヤバい。
舌噛んで死ぬとかありえん。腹も肩に食い込んで痛すぎる。それにさっき、廊
下に倒れている男が見えた気がしましたが、アレもしかしなくても貴方がやっ
たんですよね。

もう大概の見張りは始末した後なのか抜け道なのかは知らない、知りたくない
が、この屋敷の人間に見つかることなく男は外へと抜け出した。やっぱりあん
た、アサシンだろう。






屋敷の外はこの世界で初めて目にする近代的な町並みだった。近代的っていう
かやっぱり中世ヨーロッパなんだけど。真っ暗な通りには人っ子一人いなくて、
外灯と呼べるようなものも本当に少ない。窓と言う窓全てが閉め切られていて、
ちょっと不気味だった。一体ここはどこなんだろう。すごく森から離れてるっ
つーことしか判らない。そんな町の中を、男は俺を降ろすことなく走り抜けて、
薄暗い路地裏へと潜り込んでいった。よりによって路地裏。

やっとゆっくりとしたスピードになったので、目の前で動く男の背中を眺めな
がら訊ねようとした。

「な―ぁアッ?!」

が、またもや俺の視界は半回転。何か温かいものの上に乗せられる。
男の子ももうちょっと丁寧に扱って頂けませんか・・・。
座った体勢から男を色々な気持ちを込めて見つめたが、やっぱり気にも留めず
に俺の後ろへと跨った。今気付いたけどこれって、ジェードじゃん。

「しっかり掴まれ。落ちるぞ」

ずっと待ち望んでいたジェードとの再会にひたすら感動していると、男の不穏
な台詞が耳に飛び込んできて俺はピシリと固まった。――ま、まさか。

慌てて男にしがみ付いた次の瞬間、路地裏からジェードが勢い良く走り出した。

やややややっぱり、やめてくれ俺は馬になんて乗らないって心に誓ったんだ・・・! 
もう喋ることなんて出来ない、ただひたすら身を硬くして顔を伏せる。
俺の様子がおかしいことに気が付いたのか、男が俺の背中を軽く支えた。


「大丈夫だ」


・・・・・男の低い声が胸から直接響いてくる。あたたかい。
聞こえるのは心臓の音と、ジェードが石畳を蹴る蹄の音。男の呼吸。
感じるのは俺を支える大きい手のひらと、温かい身体。それだけだ。
他には何も無い。

男にしがみつく手に力を込めた。


俺と、ジェードと、この男だけ。



俺は、助かったんだ。




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