第十話


「この様子だと二、三ヶ月ってところか。順調そうだから安心しろ」

・・・じゅ、順調って。さ、三ヶ月って? ナアラ、お前いつの間に。

一体あの森の中で誰と結婚したんだお前は? と思ったが、その数字で思い当たる
ことがある。三ヶ月前っていったら、あの男が来た頃じゃないか。
そう、ジェード。

可能性からいってジェードしかいないんだが、それでもまだ信じられない。
だってお前、たった一晩、たった一晩でおめでたって、どんだけ激しく愛し
合ったんだよ・・・。

複雑な顔で母となったナアラを眺めるが、ナアラはそ知らぬ顔で道端の草を食ん
でいる。淑女然としやがって。

まぁ、嵐の夜、一夜の恋に落ちたなんて、そりゃあロマンチックだけどさ。うん。

俺は無理やり自分を納得させると、とりあえず病気じゃなかったことに安堵の
溜息をついた。力を抜いてナアラを見る。
しかしそれもつかの間、これは新たな問題浮上なのではないかと気が付いた。
だって出産って、シャレになんないくらい大変なのでは?

青ざめた顔で訊ねる俺に、おっさんは苦笑しながら答えた。

「馬はふつう自力で生むもんだ。人間が手助けしたりはしねえよ」

それでもまだ不安の拭えない俺を見て、おっさんは「どうしても不安だったら
おれんとこ来い。生まれるまでちゃんと面倒みてやる」と申し出てくれた。
なんでそんな申し出をしてくれるのかと思ったが、聞けば爺さんはこのおっさんの
所でヤギを買っていたらしい。村の中では結構親しくしていたそうだ。

ナアラを預けるのは寂しかったが、こういうことに関しては素人もいいとこの俺が大切
な赤ちゃんを預かるわけにはいかない。ちょっと躊躇ったが、そのままナアラをおっさん
に預けることにした。


そしてそれからほぼ毎日、俺はナアラの様子を見に、森を出てすぐのところにある
おっさんの家に向かった。おっさんの奥さんはいかにも肝っ玉母ちゃんといった感じ
で、ひょっこり現れた俺にもすさまじく親切にしてくれた。
そりゃもう痛いほどに。

俺が19歳であると知ったときなんか酷かった、発育が悪いのは生活習慣が悪い
からだとこんこんと説教された挙句、山のように大量の夕食まで完食させられた。
これは人種の差であって俺が悪いわけではない。日本人男性の平均にはちゃ
んと達している。はず。

だけどそんなおばちゃんの姿を見ていると、俺は少しだけお袋を思いだして
懐かしくなった。細面だった俺の母親とは似ても似つかないが、母親の優しさ
というのは世界を超えて共通なんだと思う。母は偉大だ。



そんな風にナアラが出産するまでの八ヶ月、この家に通い詰めだった俺は、閉鎖
的な村の中でもこの夫婦とはとても親しくなることが出来た。おっさん達も、街
に嫁に行ったと言う娘のかわりの様に思ってくれてたんだろう。たまにその娘さ
んのお下がりを押し付けられそうになったから。丁重にお断りしたけど。


そして子馬が生まれてから一週間がたって、ナアラと生まれた子馬を家に連れて
帰ることになった日。そんな夫婦に、俺はひとつ頼みごとをした。

これからも必ず三日に一度は遊びに行くから、もしも俺が三日以上来なくなった
ときは、様子を見に来てくれないか、と。

人の良い夫婦は森の奥で一人暮らしをする俺に何かがあった時のためだと思った
ようだが、この約束は俺のためのものじゃない。爺さんの大切な、動物達のため
のものだ。

もしも俺が急にこの世界から消えてしまっても、三日間なら、元気でいられるだろう。






爺さんが死んで約一年。こうして、俺は新しく増えた家族と日々を過ごしている。

俺にじゃれついてくるスカイ。こいつを見るたび、俺はこいつが生まれた日を思い出す。
ナアラの腹から出てきた子馬、それを見た瞬間、こいつはやっぱりジェードの子なんだ
と実感した。羊水で濡れた子馬の毛並みは、父親そっくりの黒だったから。
そしてジェードを思い出すと、いつもあの黒い男も思い出した。特にあの、青い目を。

子馬の名前を付ける時になっても、どうしてもあの目がちらついて仕方なかったから、
ヤケになって“ブルースカイ”と名づけた。
競馬みたいなネーミングだって判ってるけど、そのまんま“青”よりはマシだろう。
・・・たぶん。
俺が名付け親ってことで諦めてくれ。


そんな由来だとは露知らず、スカイはのんきに庭を駆け回っている。

今がちょうど、お前の両親が出会った頃なんだぞスカイ。まったくもって奇跡的な
確立のもと、お前は生まれたわけだ。あの日が嵐じゃなかったら、男がうちに来る
ことは無かった。




いつか、お前が父親に会える日は来るんだろうか。








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