第九話


庭の手入れをしていると、後ろから俺の背中をぐいぐい押してくるやつがいる。
先月生まれた子馬のスカイだ。
爺さんが死んでからしばらくの間、俺はたまにどうしようもなく寂しくなる時も
あったが、マーノやナアラ、ヤギ達のお陰でなんとか乗り越えることが出来た。
そして以前よりも格段に動物たちと触れ合う機会が増えて、ある日俺は気が
付いた。

「ナアラ、お前、なんか腹出てきてないか?」

まがりなりにもレディであるナアラに言うのは憚られたが、ちょっと見過ごせない
ほど大きくなっている。そっと触れてみると、なんだか少し硬い。


気付いてから二週間がたって、俺は悩みに悩んだ末ナアラを連れて村へ行って
みることにした。もしもこれが悪い病気だったりして、ナアラにもしものことが
あったら、俺は爺さんに顔向け出来ない。


俺の知る世界はこの森の中だけだ。人間と触れ合ったのも三ヶ月前が最後で、
それも爺さんと一回会ったきりのアサシン。良く考えなくても不健全だ。仙人の
如き生活っぷりだ。間違ってる。
しかしその間にすっかり対人恐怖症気味になっていた俺には、村と言う未知の
領域に踏み出す勇気など出るはずもなく。残された買い置きで日々を賄って
いたのだ。
が、それにも限界があるし、今はナアラの事もある。ちょうど良い機会だと思って
腹をくくろう。大の男がいつまでも怯えていてどうする。
気合を入れて村への道を辿り始めたが、もちろんマーノにも付いて来て貰う。
良く考えたら俺、詳しい道なんて知らないし。

しばらくナアラとマーノ、二匹を道連れに黙々と歩いていたが、森の終わりへと
差し掛かった時に、前から歩いてくる人影が見えた。見た感じ、村人のようだが、
緊張で体が強張る。息をつめて近寄ってくる影を見つめていたら、急にマーノが
その人影に駆け寄っていった。何しちゃってんのマーノ。

「おお?じーさまんとこのマーノじゃねえか?今日はじーさまと一緒に買いだしか」

俺の予想に反して、その人影とマーノは仲睦まじげにじゃれあっている。
あれ、マーノさん。貴方俺にもそんな尻尾振りませんよね?
呆然とそれを眺める俺に気付いた人影は、訝しげな顔で訊ねてきた。

「そんなとこで何してんだ坊主。じーさまはどうした」

近寄ってきたのは簡素な衣服に身を包んだデカイおっさん。この世界の男っての
は皆こんなガタイ良いのかよ。
軽く見上げて目を見開いていたら、どうやらおっさんは俺が怯えているとでも思った
ようだ。ちょっと頭をかいて困った様な顔をしながら、軽く腰を曲げて俺と視線を
合わせてきた。口調も心なしか優しくなっている。

「ほら、坊主。お前の名前はなんてんだ?じーさまの孫か?」

一体このおっさんの中で俺はどのぐらいの年齢設定がされているのかと気には
なったが、ひとまず置いておく。

「俺は優心。爺さんのところで世話になってた」

そう答えた俺に、おっさんは眉をしかめて視線を落とした。そしてもう一度俺を見
たとき、その瞳の中には確かに哀れみの光があった。

「・・・・じーさまは亡くなったのか」

静かに頷く俺を痛ましげな顔で見やって、おっさんは俺の頭を軽く叩いた。いや、
だから俺は子供じゃないって。

「お前ひとりか?もう埋葬は済んだのか」

またこくりと頷くと、おっさんは「そうか」と言って俺の頭をくしゃくしゃに掻きまわして
きた。やっぱりかなり子ども扱いされてる気がしたけど、正直久しぶりの人の温も
りにグッときたのも事実だ。
しばらくおっさんの掌の感触に目を閉じていたが、今日はもっと大事な用があった
ことを思い出す。俺は慌てて顔を上げると、急な態度の変化に驚いている様子
のおっさんに勢い込んで話しかけた。

「ナアラ、この馬の様子がちょっとおかしいんだ。もしかしたら病気なのかもしれ
 ない。どうしたら良いんだろう」

あまりにも必死な俺にちょっと呆気にとられている様だったが、俺の言葉にナアラ
へと視線を移したおっさんは、すぐに大きな声で笑い出した。

「おい、ユーシン。そんな情けない顔するんじゃない。ただのおめでただ」

おかしそうなおっさんの言葉だが、いまいち判らない。おめでた?何が?
顔中疑問符だらけだろう俺を放って、おっさんはナアラの腹をためつすがめつ
しながら言葉をつなげる。それを聞いて、俺は今度こそ顎がはずれるくらいに
驚いた。




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