第五話


男の馬はうちの小屋に入れることにした。といっても板で打ち付けてあったか
らそれを剥がすのが先決だったんだけど。嵐対策を嵐の真っ只中にね。
まぁ馬だからって嵐の中放置するのは道徳的によろしくないし、弱ってるから
仕方がない。それに、男の馬が入っていった時、うちの雌馬・ナアラが嬉しそう
だったから良しとする。ナアラ、お前面食いだったんだな。

やっと家の中に入ると、寝室からマーノが顔を出して俺を出迎えた。いつもは
決して爺さんのそばから離れないのに、見知らぬ人間の匂いに気付いたんだ
ろうか。男を見たマーノは吠えるでもなく戻っていったが、出来れば俺のところ
にいて欲しかった。頼むからこの男と俺を二人きりにしないでくれ。

そんな心の声が届くはずも無いので、まずはビショ濡れになった外套を脱ぐ。
急いで体を拭くための布を持って来てみれば、男はまだ外套を脱ぎもせず
頭からすっぽりと被っていた。

「それ脱ぎなよ。今なんか熱いモン持って来るから」

ただ黙って家の中を見回していた男は、それを聞いて俺の方へと視線を戻した。
そして何故かしばらく俺を見やってから、ゆっくりと外套を脱ぎ始める。男の外套
は随分と優秀なようで、中はほとんど濡れていなかった。俺はもう下着まで滲み
ちゃってるんだけど。一応男にも着替えを用意すべきかとは思ったが、あいにく
俺の服では入りそうにない。爺さんの服では言うに及ばず。別に俺が小柄なん
じゃ無く、こいつがデカイだけだ。

「暖炉の前に靴脱いで座ってて」

何故かそこで俺を注視する男。なんだ、やっぱりあんたも着替えたいのか?

「俺の服で良ければ貸すけど?」

しかしそれにはただ首を振るだけで、そのままおとなしく暖炉の前に座る。
そんな寡黙な男に気圧されつつも、俺は黙ってミルクを温めた。あの男には
少し甘すぎるかもしれないが、冷えた体にはこれが一番良いと思う。
とりとめもなくそんな事を考えて、小鍋の中を掻き回しながらちらりと男を盗
み見れば、バチッと音がするぐらい視線が合ってしまった。気まずいにも程が
ある。第一、貴方その腰に下げているもの、まさか剣だとか言っちゃいませんか。

予想外の発見に慄くがミルクは沸騰する。まだ男から離れていたかったが、仕
方が無いのでカップに注いで持っていった。

「好きじゃないかもしれないけど、体には良いから」

そう言って差し出すと、男は特に文句を言うでもなく素直に口をつけた。まぁ
長時間嵐に晒されてたんだから、とにかく温まりたかったのかもしれない。

お互い黙ってミルクを啜っていると、唐突に男が口を開いた。

「この家に一人で住んでいるのか」

ここから寝室は見えないし、爺さんは静かに眠っているからそう思ったんだ
ろう。言おうか言うまいか迷ったが、適当に濁しておくことにする。こんな全身
真っ黒で武器携帯な男、アサシン説が最有力だ。

「まあそんなところだけど、」

俺の返答に何やら考えている様子の男は、さらに問いかけてくる。

「生まれは?」

・・・一体俺の何が知りたいんだコイツは。質問が端的過ぎて、まるで尋問
されてる気分だ。しかもこれにはどう答えたら良い?まさか真っ正直に「異世
界からやって来ました」なんて、俺の頭の名誉にかけて言えるはずが無い。

「知らない」

ナチュラルに嘘をついた。元の世界では嘘なんてつかないで善良に生きてきたのに、
ここに来てからどんだけ嘘ついたんだろう俺。しかもその嘘が疑われないところ
に知られざる才能を垣間見た気がして、なんだか欝になる。

「・・・そうか」

「・・・・・・・・・」

・・・ああ、なんか少し視線が優しくなってる気がする。絶対可哀想な設定が組ま
れちゃったに違いない。孤児とか。お袋は死んじゃったけど、それまでは普通に
幸せで平凡な家庭だったし、もちろん居なくなった後だってそれなりに幸せだった
よ。ある意味俺より可哀想なのは親父だよ。嫁に行った姉ちゃんがどうにかし
てくれてることを祈る。

「何でそんなこと聞くんだ?」

至極当然な俺の疑問に、青い目を瞬きもせず見返す男。なんだよ。

「お前の瞳は珍しい。初めて見る色だ」

・・・貴方は俺と同じ黒髪なのに、黒い目は見たこと無いんですか。
つーかこの世界に黒い目がいないんだったら、もしかして俺って珍獣的扱いを
受けることになるのか。

「・・・それは夜の色だな。とても、美しい」

苦悩する俺に更に追い討ちがかかる。何そのクサい台詞。あんた言葉が短い
ぶん一言一言が重いんだよ。男に美しさを語られても気持ち悪いだけだよ。
大体あんた、只単に黒が好きなだけだろ?全身黒尽くめだしな。馬も黒いしな。

男の持つ唯一の色は瞳の青だけだが、他に色が無いせいで余計に目を惹いた。


「俺はあんたの目の方がよっぽど綺麗だと思うけど」


ついポロリと考えていたことが口に出てしまったが、男はそれに少し目を瞠った
様だった。そしてまた少し目を細めると、微かに微笑んだ様に見えた。


「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」


――な、なんだこの空気。
  

俺は突如訪れたこの居た堪れない沈黙にうろたえ、

「疲れてるだろ?もう遅いし、早く寝たほうがいい」

そう言って、暖炉の前にある敷布の下に枯れ草を敷き、クッションと呼べ
る程上等でもない物をその上に乗せると、俺の上掛けを持って来て男に
持たせた。この間僅か10分の早業。たぶん。

「こんな寝床しか用意出来なくて悪いけど、寒くはないはずだから」

そして男の返答を待たずに寝室へと逃げた。あぁ逃げたさ。あんな胃に悪い
空気、俺にはもう耐えられない。

上掛けは男にやってしまったので、爺さんに掛けておいた毛布を返してもらう。
なんかすげえ格好悪い気がするんだけどこの行為。でも何も掛けずに寝たら
俺が死んでしまう。情けない気持ちでごそごそと薄い毛布に潜り込んだが、
疲れているはずなのになかなか眠りにつけなかった。やっぱり知らない人間が
居ると落ち着かないモンなのかな。









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