第二話


これには流石に認めざるを得ないと思った。こんな巨大な月が観測出来る場所、
地球上にあるわけがない。
それでも今回ばかりは諦めの悪かった俺は、一縷の望みをかけてこの国の名前
を聞いてみた。まだタイムスリップとかなら、俺の人生の許容範囲だ。

「聖メリディアナ公国」

それがこの国の名前らしい。見事に俺の期待は裏切られた。こんな名前の国、
今も昔も興ってないことは俺にも断言できる。

俺は知らないうちに世界を越えていたらしい。「人生何があるか判らない」がモッ
トーの俺とはいえ、これは無いと思った。非日常と日常は紙一重でも、今回
俺の身に起きた非日常は世界一つ分の隔たりがある。いくらなんでもこんなこ
と、長い人類史の中でもそうそう無い事例だろう。まさに声を大にして言いた
い。何で俺がこんなことに。



だが混乱していても日々は過ぎる。俺は死にかけて記憶の混乱した不憫な
青年として、そのまま老人と暮らすことになった。この老人には何から何まで世話
になりっぱなしで、本当に頭が上がらない。俺は老人から当然のように読めな
かった文字やらここでの生活の仕方を教わった。

老人と俺が住む家は国のはずれ、山の裾野に広がる森の中にあった。ほぼ完全
な自給自足、庭の小さな畑から採れる野菜と森のキノコ、時折罠を仕掛けて捕
まえた動物ぐらいが食料の全てで、後は飼っているヤギの乳ぐらいなものだった。
森を抜けたところに村があるらしいが、そこには時折生活必需品を買いに行く
程度らしい。俺の知る限り、老人が村に行ったのは俺の服を買いに行った時と、
新しくヤギを仕入れた時の二回だけだ。

はじめは動物を殺して捌くなんて現代っ子の俺に出来るはずも無く、ただただ
老人が動物を肉塊へと変えていく様子を見守っているだけだった。男は血に
弱いと聞くが、それは真実だと思う。決して、俺が小心者というわけではない。

やっと俺が動物を殺めることが出来たのは、暮らし始めてから一ヶ月が経った
頃だった。太陽暦か太陰暦かは知らないが、老人は月の満ち欠けを基準に
生活していたから太陰暦なのかもしれない。確かにあんな巨大な月、太陽より
存在感がある。昼間でさえ、常に空に浮かんでいるんだから。

もうすっかり不便な生活に慣れきった俺は、ヤギと馬の世話も一人で任される
ようになった。正直大型の動物が好きではないので不安だったが、案外おとな
しいモンである。慣れてくるとそれなりに可愛い。
調子に乗って乗馬した時は振り落とされて死ぬかと思ったが、二度と馬には乗
らないと心に誓ったので何も問題はない。



そんな風に日々のんびりと過ごしていたが、やはりフッとこれは夢なんじゃないか
と思う瞬間がある。
もしかしたらあの日、俺の家は地震か何かで一瞬で倒壊してしまって、俺は意
識不明の重体、こんな長い夢を見続けている・・・とか。確かドラ○もんの噂に
なかったかそういうの。異世界に迷い込むなんてことよりよっぽど有り得そうな気が
する。つーか、そっちの方が断然マシだ。
俺の不運以上に、妻に先立たれ長男も謎の失踪なんて、親父が哀れすぎる。

後はこれが神隠しの正体なんじゃなかろうかとか、そしたら今まで神隠しにあった
日本人がここに居たりしないかとか。そんな甘い空想を思い描いては「なわけ
ねぇよ」と一人ツッコむ毎日。


まぁ結局は、これが夢にしろ何にしろ、今ここで俺が生きていることには変わり
無いんだけど。















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