希望は潰えた



・・・じゃ、俺が願い直せばオールオーケィ?



何しろこっちには八百万もの神々がついているからなぁ、とその喜びをへし折
ってやりたくなったが、爪の先程に残された良心と親しみとが辛うじてその衝
動をとどめる。

思わず頭を押さえて溜息をついた俺に 「やっ、やはりまだ痛むのか!? は、
早く癒師を呼ばねば――!」 と勢い良く立ち上がったディーは、引き止める
間もなく極彩色の扉の外へと駆け出していった。だから何でそうお前は以下略。

涼やかな鈴の音と共に扉が閉まり、ふわっと捲くれ上がった紗幕がゆっくりと
元に戻っていく。

紗幕が力無く垂れ下がると同時に全ての動きも止まり、耳に痛いほどの静寂が
俺を襲った。


「――・・・・マジか・・・・」


とりあえず胡坐をかいて頭を抱えてみる。てらてらと滑る布団はあからさまに
シルク100%で、こんな状態じゃなけりゃ思う存分寝倒したいところだった。
今寝たら確実に事態が悪化すること間違い無し。なんてストレスが溜まる空間
なのかと舌打ちして立ち上がる。

「・・・・趣味、悪」

ぐるりと室内を見渡してみて素直なコメントが零れたが、どうやらここの主は
ディーのようなので聞かれたとしても何ら問題は無い。むしろ率先して聞かせ
て改善を促したいくらいだ。

広さは普通のリビング程度、客間かディーの寝室かは知らんが王宮とやらに
しては狭くないかと首を捻る。そのまま顔を上げれば天井にはワケの判らん
絵があふれ、異国情緒溢れる素晴らしい部屋だな。とは露ほども思わない。


俺はシンプルなインテリアが好きー、と壁の彫刻をなぞり上げたところで、デ
ィーが出て行った時よりも更に大きな物音が扉の向こうから聞こえてきた。見
た感じかなり分厚げな扉越しだというのに、何やらキャンキャン吠えているの
も判る。


「―――、―――!」
「だ――ら、―――だ!!」
「〜〜〜〜〜!」

「・・・・・・・・・・・・」

・・・流石に内容までは判らんが。

しかしその、ゆし? とか何とかを呼びに行ってどうして怒声が聞こえるのかと
これまた厄介事が訪れる予感に顔が歪む。窓が見当たらないので逃亡は不可能
だったが、積み重なった布団の中にでも潜り込んで姿を隠そうかとかなり本気
で考え込んだ。

「――いい加減こちらに引き渡して下さい!」

「戯けた事を申すな!ジンは神からの賜りもの、この余のものだ!」

「そんな言い訳が通じると本気でお思いで!?」

「そなたこそこれ以上の干渉は許さぬ、去ね!」

うっるせーえ。

お前らまとめて立ち去れよ、と吐き捨てたくなったが、扉一枚隔てた向こう側
の舌戦に加わる気は全く無いので静かに戦況を窺う。どうやら戻ってきたディ
ーがもう一人の人間をこの部屋に入れないよう踏ん張っているらしい。
お前、何しに外行ったの?

極楽鳥か楽園か、煌びやかに俺を守る扉に張り付いて溜息をついた瞬間、ピタ
リと反響していた声が止む。

――やっべ、と素早く身を退いた次の瞬間、ガキンというあからさまに何かを破
壊した音と同時に扉が跳ね開けられた。ナーイス俺の危機察知能力。

「――アジョワン!」

ディーの怒りを孕んだ声が鮮明に聞こえ、続いて二人の人影がもつれるように
転がり込んでくる。さっと潜り込んだ扉の影で息を潜めていた俺は、二人の視
界から外れているようだった。

「・・・その首、刎ねられたいかアジョワン・・・!」

紗幕の前で仁王立ちしたディーが、俺から背を向ける形で片膝をついた男に低
く恫喝する。

対する短く刈られた金髪の男は、真っ直ぐディーを仰いで言葉を紡いだ。

「・・・私の首一つで済むのなら、如何様にも。
 私の代わりなどいくらでもおりますが、ルシュディー様の代わりはおりません」

どうか、お忘れなきよう、と深く下げられた男の頭を見下ろして、押し黙った
ディーの顔から怒りが滑り落ちていく。

「・・・そなたの代わりなぞ、おらぬわ」

「・・・!」

勢い良く顔を上げた男と、不愉快そうな目をしたディーがしばし無言で見詰め合った。



――おお、ロミオ・・・!

――嗚呼、ジュリエット・・・!



とか言い出しそうだな何だこの寸劇?


完全に空気と化していた俺はどうしたものかと頭をかいたが、その手に微かな風が触れ、
よし、と体を滑らせた。

「――ぐっ?!」

「お?」

・・・と、音も立てずに扉の裏から部屋の外へと滑り出た途端、みぞおちの辺りに
ゴスッと衝撃を受け思わず声を漏らす。

しまった、と思うよりも先に膝が崩れ落ちた。

――み、みぞおちクリティカルヒット・・・!

「ジン?!」

突然扉の前に躍り出てうずくまった俺の背中に、驚愕したディーの声と殺気に
も似た鋭い視線が突き刺さる。「お待ち下さい!」「ええい邪魔だどけ!!」と
またもや俺を放置して寸劇が催されたが、俺の周囲を巨大な影が覆いつくし、
咳き込みながら見上げた瞬間正直終わったと思った。

「――ほう。これが・・・」


――炎の明かりに照り返す見事なスキンヘッド、盛り上がった筋肉はあらゆる
攻撃を防ぐ最強の鎧。ゆっくりとしゃがみ込む動作に隙は無く、押し潰される
ような重量感に身の内から汗が滲み出た。なあ、知ってるか? 喧嘩に勝ちたい
なら勝てない相手に喧嘩は売るな。こいつは確実に人を殺っている。


「モルドゥ!ジンに何をした?」

ようやく金髪の壁を乗り越えてきたディーが、俺の傍らに膝をつきながら目前
の巨躯に一喝する。お前、向こう見ずな所は変わってないんだな、と一瞬呆れ
た感情が胸に湧き起こったが、良く考えれば此処は王宮、王子であるディーに
とってはこの男も恐るるに足りんのだろう。

「・・・はて。このモルドゥに向かい何たるお言葉!よもやこの私が人を傷つける
 と、そうお思いになる」

酷く心外そうに片眉を上げた男に、うっと退いたディーが戸惑った目で俺の顔
に視線を移す。そんな助けを求めるような目で見られても俺にはどうしようも
ない、此処はお前のホーム、俺にとってのアウェー、それに自分のケツは自分
で拭くモンだ。たとえこの男の発言に心から是と答えたいと思っていても、
俺はこいつを相手に正面きってお前の味方になるつもりは無い。

すっと速やかに外された俺の視線に酷くショックを受けたような顔をされたが、
俺がもう一度小さく咳き込んだところでハッと表情を引き締めた。

「ならば何故ジンは苦しんでいるのだ? 早く診よ!」

そのまま男の前に引き出され貴様と思ったが、丸太のような両腕で抱えられ咄
嗟に逃げた。

「・・・ほう?」

プロレスのヒールの如き容貌が関心したように眉を上げ、俺の身体を頭から足
の先までじっくりと視線を這わせる。その眼差しには流石の俺も「きゃー、セ
クハラー視姦ー」と茶化すことは出来ず、何だかなあと腹を擦りながら顔を逸
らした。

その先には、俺を射殺さんばかりに睨みつける金髪の男が一人。

「モルドゥっ、誰がジンに触れて良いと言ったのだ! まして抱き上げるなどッ」

「何を仰る、触れねば診れぬし診るには触れねば、診よと仰られたのは王です
 ぞ。それにはまず寝かせてやるのが慈悲というもの」

「寝かすのは余の役目だ、余が抱き上げる!」

必要以上に触れるな! と噛み付いたディーが俺に手を伸ばしたが、金髪の男に
気をとられていたせいで一瞬反応が遅れる。しかし既に痛みも引いていた俺は、
素早くその手を避けて三人からなるべく遠ざかった。

「誰もお前にそんな役目与えてねぇよ、つかいい加減説明しろよ」

可愛かったクソ餓鬼は変態に成り下がってるわ手下っぽい金髪は殺意丸出しだ
わ、挙句の果てには出入り口をマッチョで塞がれているというこの状況。俺が
もっと気の弱い青年だったらとうの昔に気を失っているわ。

「・・・・しかも呆気無く人の希望を打ち砕きやがって・・・」

どうしてくれんのお前? と成り行きで消されてしまった最後の帰還方法にう
んざりとしてディーを眺めると、何のことだとでも言いたげに首を傾げたディ
ーは「ぁあ、」と一つ頷いて酷く満足げな笑みを浮かべた。

「そのことなら既に判っていたぞ? ジンが気を失ったのはそこのアジョワン
 の仕業だからな」

余の護衛なのだ、と名指しされた金髪はやはり無言のまま俺をガン見していた
が、「もし余がジンを抱いておらねばそなたは斬られていただろう。拳一つで済
んだこと、余に感謝するがいい」などと戯言をほざいてディーが抱きついてき
たので、その頭を反射的に叩いた瞬間、ついに帯剣の柄に手が置かれた。

「・・・・それが、それがルシュディー様の待ち望んでおられた御方だと・・・・? 
 ――馬鹿な!」

怒りの余り青褪めてさえ見えるような顔が、信じられないと言って俺を見る。
俺もそんなこと望んじゃいないが、そう頭から否定されると非常に不愉快だ。

わなわなと震える男にふと魔が差し、むっとした顔で何事かを言いかけたディ
ーの肩に腕を回して囁いた。

「・・・ぁあディー、何だかお兄さんは息が詰まって苦しいよ。ちょっと休ませて
 くれないか・・・・」

「っ!!」

扉に寄りかかっていたスキンヘッドは呆れたような顔をしたが、実際喉も渇い
て掠れた俺の声にディーはあわてて俺の体を支える。ああ、ちゃんとそんな純
粋な所も残っていてお兄さん嬉しい。

己の主君にタメ口呼び捨て、どころか愛称でなんか呼んじゃった俺を、あまつ
さえ甲斐甲斐しく世話なんかされちゃってる俺を、今すぐ斬り殺したいとでも
言うように金髪の握る柄がカタカタ鳴る。

しかし、肝心のディーに「湯殿で危害を加えたことは容赦する。が、二度目は
無いぞ」ときつく釘を刺され、紗幕をくぐる俺を最後に一睨みしてから頭を垂れた。

ハハッ、ざまぁーみろ。

「モルドゥ、水を」

おそらくそれが俺をうずくまらせた原因であろう手箱を抱えなおし、スキンヘ
ッドが溜息をつきながら部屋の外へと何事か告げる。そしてどう考えても戦士
にしか見えないツラで寝かされた俺に近寄ると、無造作に俺の喉やら手首やら
を確かめてそっと後頭部に手を添えた。

「・・・どうだ? 大事ないか?」

いつの間にやら水の入った器を持ったディーが、そわそわと落ち着かない様子
で俺の顔を見つめる。そのとき丁度、今も俺を紗幕越しにガンガン睨みつけて
いる男が殴ったらしい箇所を軽く押されうっと低くうめいた。

「なっ、大丈夫か? ジン」

ディーが素早く盆を椅子に置き、俺の頭からマッチョなおっさんの手を抜き払
う。そして「もっと優しく触れぬか」と違う意味で頭の痛くなりそうな発言を
すると、やれやれといった顔でマッチョは俺を見下ろした。

「あれだけ動けるなら何も心配はありませぬ。なあ、精霊殿」

まさかこのマッチョは医者なのか、と針も器用に扱えなさげなゴツイ指を凝視
していた俺は、一瞬誰に話しかけているのか判らずに「ハ?」と間抜けな反問
をした。

「王には事あるごとに貴殿のことを語られましてな。もはや王宮で知らぬ者な
 どおらぬでしょう、王が長きに渡り待ち望んでおられた御方、黒き精霊殿」

不可視の拳が俺を襲った。

「・・・・・・くろき、・・・・」

・・・まだ幼かったディー、あの夢見がちな年頃に言われるならまだしも、こんな
年食ったオッサンの口から飛び出すには余りにも衝撃的過ぎる言葉。きもい。

うぅわぁ〜、と鳥肌のたった肌を強く擦りながら体を起こし、すかさず伸ばし
た腕で水差しを取ると、そのまま一気に飲み下した。

「――ッハァ、俺の名前は 高須賀 陣 、高須賀 陣だ。主従揃って寒いネー
 ミングするな。名前で呼べ。人と呼べ」

10年お前は何してたんだ。半眼で見据えたディーは妙にふにゃふにゃした笑
みを浮かべるだけで、「本当にジンは変わらぬなあ」と反省のカケラも見せやし
ない。・・・・初めてあった時のほうがまだ賢そうだったぞ・・・。
	
この国が昔聞いた通り王制なら、下から上に倣え、長いものには巻かれろ、逆
らう者には死を・・・とまではいかないだろうが、まあ余程のことが無い限り王族
の言葉は絶対なんだろう。つまり、このまま暫く日本に戻れなかった場合、こ
の逆成長王子のおかげで俺は、俺は・・・・。

「精霊殿の名はタカスガジンと仰るのか。私の名はモルドゥ。王の癒師を勤め
 ております」

・・・・この王宮のやつらから、こんな風に呼ばれ続けんのか・・・?

瞬間的に「それは無い」と断定し、すかさず目の前の男臭い顔を見上げた。

「――いやだなぁモルドゥさんっ、ディーが何言ったか知りませんが俺は精霊なんか
 じゃなく列記とした人間ですよぅ!それにタカスガジンじゃなくてタカスガ・
 ジン・・・・まぁジンとでも呼び捨てて下さい」

「さっきは失礼な口利いてすんません!」と明るく爽やかな好青年風に笑いかけ、
「呼び捨ててくれ」と言った辺りで「何!?」と立ち上がりかけたディーを笑
顔のまま威圧すると、ベッドに腰掛けたディーの脇で屈んでいた巨漢の医者は、
そんなやりとりを眺めながらゆったりと口を開いた。

「・・・では、僭越ながらジン殿とお呼びしてもよろしいかな?」

「えぇえぇどうぞどうぞ!」

俺の手の平で口を塞がれたディーがもごもごともがく。

「ならばジン殿も私のことはモルドゥ、と。言葉遣いも素のままで構いませぬ」

うぅ!? とディーの瞳がつり上がる。

「・・・いいんですか? じゃ、遠慮なく」

「これから世話になると思うけど、よろしく」と軽く頭を下げニッと笑うと、
モルドゥも肉厚の唇を曲げてニッと笑った。








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