世界と時をまたにかけ


「――っでまでやゴラ!!!!」


ほんのりとセンチメンタルな気持ちで佐藤家の浴室に足を踏み入れた俺。

それが何故今このようにバーサークな状態に陥っているのか?


1番。「きゃあああ、桶の中にカマドウマが!」

2番。「ひぃっ排水溝から大量の髪の毛?」

3番。「冷たッ、ちょ、ガス入ってねーじゃねーか!」




答え。


「・・・・ざげでんじゃねえぞぐぞが・・・・・・!」


それは、あの涙涙の別れから一日も経たない内に、またもやあの強制潜水状態
に持ち込まれたからである。


しかも佐藤家の風呂、そして二日連続という、前例の無い状態での移動だ。
全くもって、ワケが判らない。



だが確実にこれだけは言える。




――俺の、人生で最も心痛めさせられた時間を返せクソが!!



「良心は無限大じゃねえんだよ!!!・・・・・・って、ドコだここは」

よもや再び目にする事があろうとは夢にも思っていなかった青い水中から速攻
で飛び出し、苛立ちのままに水面を蹴り割った俺は、ふと違和感を感じて首
を巡らせた。


淡いクリーム色の彫刻、幾重にもたわむ布布、どこからか流れる水の音。


パッと見は、何も変わらないように思えるが、確実に何かが違う。


「・・・・・・何だ・・・・?」


そこで、その何かを見極めようと目の前の噴水に手を伸ばした瞬間、背後か
ら何者かにタックルを受けた俺の体は、衝撃に従い正面へと倒れ込んだ。


浴室に、肉と骨、石のぶつかる鈍い音が響く。


「―――――・・・・・・」

すなわち、正面の噴水に前頭部を強打した俺は、噴水の池部分に上体を倒して
静かに悶絶した。これまでの人生、幾度か頭突きを喰らったことはあるが、流
石に大理石相手では痛みの度合いが違う。もはや痛いかどうかではなく、吐き
気と重みしか認識出来ない。意識を保てただけ俺最強。

どれほどの時間軽くトリップしていたのか判らないが、ようやく外界に目を向
ける余裕が出来てきた頃、俺の体を背後の加害者が抱き締め続けていることに
気が付いた。耳鳴りも収まってきたので、何やら喋っているのも聞こえてくる。

「―――・・・・・」

俺は一度ふ、と笑って、輝けるマーダーリスト第一位に認定された輩のご尊顔
を拝んでやろうと両腕に力を込めた。


未だ腰には死刑囚確定の両腕が回されているが、むしろ好都合。


「――死ね!!!」


俺の渾身の力を込めた逆バックアタック、文字通りの後頭部を使った背面頭突
きが決まった。


本日二回目の鈍い音が、豪華室内プールに響き渡る。


ずるり、と力の抜け落ちた両腕を叩き落し、俺はヒリヒリする額から前髪をか
き上げながら振り向いた。


さーて、異世界人殺害は刑法に引っかかるのかな?


「言いたい事があったらあの世で言えな? 聞きたくないから」

湯に首まで浸かって顔面を押さえている人間に優しく話しかけて、ベスト踵落
としポジションだとほくそ笑んだ。

その時。


「・・・・・・ぅう゛・・・・・・」


怒りで正常な判断が遅れていたからか、その時になってようやく死刑囚が銀髪
だということに気が付いた。というか、言うまでも無くそれは、

「・・・・ディー?」

片足を振り上げたまま名前を呼ぶと、小刻みに震えながら上げられた顎には血
が滴っていた。鼻から下を押さえながら涙目で見つめ返してきたのは、やはり
間違いなくディー。


いや、予想外の攻撃にすっかり頭から抜けていたが、そもそも遭遇出来るのは
ディー以外ありえねェし。


「お前なん―――・・・・」

・・・で、と続けられる筈だった俺の言葉は、痛みに霞んでいた目を擦りながらデ
ィーの腕を掴み上げたところで途切れた。



コイツ、でかい。



もちろん俺よりデカくなったワケでは断じて無いが、ぐったりとしている体は
ほとんど変わらないらしい。前日までは確かに鳩尾辺りまでしか無かったハズ
の身長が、何故ここまで進化しているのか。これがこの世界の第二次成長のス
ピードなのか? 

思わず「キモっ」と呟いて手を離してしまったが、ぐらついた体はヨロヨロし
つつも倒れずに踏ん張った。片手で鼻を押さえながら、俯いて呼吸を整えてい
る。

「・・・あー、上見てくんない? 血で湯が汚れっから」

もしやディーの兄弟か? とも思いつつも、俺の愛護年齢にコイツは引っかから
ないと判断したので苦情をつけた。先程から垂れた鼻血がポタポタ湯に落ちて
いてかなり不快だ。こんな湯に浸かっていたくは無いので噴水に腰掛ける。

そんな一般的意見を聞いたディー(仮)は、顔を上げかけて、またすぐに顔を
伏せた。そして、震えた声で浴室の隅を指さす。


「・・・・いつまで、そのような姿で居るつもりだ・・・・・!!」


その真っ赤に染まった耳を見て、そういえば俺はマッパだったと思い出した。


「・・・・・・・・・・・・」

・・・それがどうした、とも思ったが、俺の裸でそこまで動揺する脳ミソがオカルト
なので何も言わずに風呂から上がる。指差された所に置かれていた妙に肌触り
の良い布を手にとって、適当に腰に巻きつけた。

くるぶし辺りまで纏わりつく布はなかなか不快だが、これで文句はあるまいと
ディー(仮)を見る。


大きく腕で鼻血を拭ったディー(仮)は、瞬きもしないで俺の顔を凝視していた。

露わになった顔に、幼さは無かった。


「・・・・・そなた、真にジンなのか?」


それは俺が問うべき問題だ。


「お前こそ、本当にディーなのか?」

俺が同じ調子で問い返すと、ぐわっと目を見開いたディー(仮)は、唇を戦慄
かせて俺の全身を眺め回した。

「何故だ?!そなたは何一つ変わってはおらぬ!!10年前のままだ・・・・!」

「・・・・・10年?」

予想外のその言葉に、俺もディー(仮)を劣らない勢いで凝視した。コイツの
言葉が正しければ、コイツは正真正銘のディー(16歳)ということになる。
確かに、髪の色は以前より僅かに白みがかったようにも思えるが、肌の色も、
瞳の色も、全ては俺の知る色彩のままだ。

ただ、顔つきがぐんと大人びて、身長も伸びているだけで。


「人が老いぬだなどと、そんな・・・・・。ついに余の気も狂ったか・・・・・?」

「・・・・・・・・・・・・・・」


――成程。異世界旅行の次は時間旅行のダブルコンボか。


「ふっ・・・」

もはや異世界通り抜けプールを数多経験した俺にとって、少々の時差など取る
に足らん問題だ。早々にこれは成長したディーであると認識したが、微動だに
しなかったディーは相変わらず頭が固いようだった。

何やら呟きながら歩み寄って来たかと思うと、湯から上がって俺の両腕を握り
締めてくる。

「・・・それでも構わぬ。余の作り出した幻でも、余を惑わす魔物でも」

昨日まで、首を目一杯倒して見上げていた葉緑素含有の瞳が、じくりと歪んで
視線を合わせた。

「・・・・もう、離さぬ・・・・・!!」

思い切り抱き締められ、と言うか抱きつかれ、俺はしばし小さかったディーは
本当に消えてしまったのだと実感してしんみりとした。俺を見上げようとして
バランスを崩し倒れかけたミニマムなディー、腕を握っても手が回りきらなか
った昨日までのディー、舌っ足らずでそれなりに可愛かった6歳のディー。

「離すものか・・・・・!」

・・・それが今や俺より一つ年下なだけの16歳だ。腕は俺の体にしっかりと回され
ているし、抱きつくと俺の腹にクリーンヒットしていた銀髪は現在俺の目の前で
ちらつき正直ウザい。

濡れた体が引っ付いているのも気になり出すと無性にイラつき、俺は自由にな
る足でディーの向う脛を軽く蹴った。

「ッッイ?!!」

弁慶さんの泣き所は人類共通の泣き所でもあり、ディーも人類として正しく涙
を浮かべてしゃがみ込む。俺は自由になった腕や肩をほぐしながら、ぬるい笑
みを浮かべてディーを見下ろした。

「ごちゃごちゃうっせーんだよ、テメエも相変わらず人を人とも認めない子で
 すね! 俺はつい昨日まで小生意気でも可愛かったお前とお涙頂戴で別れを済
 ませた所なんだよ、テンションがた落ちだよ、マジ帰りてー」

と言いつつ、既に俺の体は浴室の出口へと向かっている。さっさと此処から出
て誰でも良いので接近遭遇・強制送還されようとする俺の意図に気が付いたの
か、ハッとした顔で立ち上がったディーは俺の体を後ろから羽交い絞めにした。

「うぜえ!お前マジうぜえ!!離せコラ!」

「離すものか!年を取ってはおらぬがその物言いは間違いなくジンだ!決して
 離しはせぬぞ!!」

「理解が遅ェんだよ相変わらずよォ!もー良いだろ無事再会出来たっつーこと
 でめでたしめでたしハイ終了さよーならァァア!」

「ならぬ!!」

「お前はもう俺の優しさ対象外なの俺的にお役御免なのお判り?つーワケで離
 せや!!」

「ならぬならぬならぬならぬならぬッ!!!」

悲鳴のように叫んだディー、見かけは相変わらずお育ちの良い美少年ヅラ
だというのに思いのほか力が強く一歩を踏み出すことが出来ない。やはり
たかが一つ違いではかつてのように圧倒することなど不可能なのか。
言っていることは6歳時よりも遥かに幼児レベルな駄々こねだというのに、
そのギャップがますます俺を苛立たせた。


「テメエいい加減に―――!」


背後のディーに顔を向けて怒鳴りつけた瞬間、視界の端でたわんでいた布が捲
れ上がり、人影が動くのが判った。


「―――・・・・・、」



それに向き直ろうとしたが間に合わず、俺の意識は暗転する。









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