血は水よりも


放課後、窓の外を眺めながらアンニュイな雰囲気を漂わせる俺に、悪友その2・
田辺涼一が絡んできた。

「あれれ、何似合わねぇコトやっちゃってんの?恋の季節到来?」

「ハハハ。お前、佐藤に何相談した?」

「ぅえッ?!!」

邪魔くさいのでこちらから切り込んでみる。涼一が佐藤だけに相談を持ちかけ
た場合、それは本当に涼一の心を惑わす内容だというコトだ。佐藤と涼一は
10年来の幼馴染なので、中学からの付き合いである俺とではぶっちぎりで佐
藤に軍配が上がる。

「いやいやいや別に何も大したコトじゃないんですよアハハハハハ」

そして判りやすく動揺を顔に表した涼一は、「ちょ、なんか飲みモン買ってくるわ!」
と言って不自然なスピードで俺の前から姿を消した。

それを横目で見送りつつ口の端を吊り上げた俺を見て、佐藤が微かに眉を寄せる。

「・・・・涼一に八つ当たりか」

その当たらすとも遠からずな発言に、俺の眉も顰められた。

「・・・あー、何つぅの?ただちょっと静かに考えたいコトがあったんでね」

グラウンドから目を離さず応えると、佐藤が携帯を閉じる音が響いた。そして
俺の前の席に腰掛けて、同じように窓の外を眺める。

「ヤブ医者でも紹介してやろうか?」

皮肉げな声音を聞いて、俺の口元に苦笑が浮かんだ。

「ヤブかよ」

「涼一の身内だからな」

「あーそりゃ駄目だ」

「納得すんじゃねぇよ」

「お前が言ったんだろーが」

「まあな」

とりとめの無い遣り取りをして、ふと訪れた沈黙にポツリと言葉が零れた。


「・・・・親子とは、何ぞや・・・・」

「は?」


俺の唐突な哲学的発言に、佐藤が間抜けな顔でこちらを振り向く。それになら
い俺も佐藤に向き直って、心の底から吐き出すようにしみじみ呟いた。

「俺は人に語れるほど人生生きちゃいねーんだよな・・・」

そんな俺の顔を珍妙な顔で見ていた佐藤は、これもまた心底から言うように言
葉を吐き出した。


「・・・・お前、もう帰って寝ろ」





*





かつての俺の桃源郷、オアシスたる湯船を眺めて、俺はしばし昨夜のディーを
思い出していた。


『父上は、余をいとしんではくださらぬのに』

『なぜジンなのだ、なぜ父上ではないのだ』

『だれも、だれも、余を』


「―――めんどくせーー・・・・」

つい極悪な本音が漏れてしまい、思わず片手で口を覆う。曲がり間違っても
自分が善人だとは思わないが、流石に傷つく6歳児を突き放すような真似はし
がたい。たとえそれが正体不明の異世界人だったとしても、だ。そこはお袋の
教育が行き渡っていると思う。

俺は一度天井を仰いでから、一つ溜息を吐いて湯に片足をぶち込んだ。



「・・・・・・・・・ジ、ン・・・」

俺の推論が正しかったコトを証明するように、今夜現れたのはディーの方だっ
た。大きく目を見開いて、気まずそうに目線を逸らす。そしてまるで言い訳の
ように滔々と喋り出した。

「先日はすまなかったな、ひさかたぶりに父上とお会いして余もどうかしてお
 ったのだ」

口元だけが笑みをかたどる。

「所詮余は庶子、父上の寵愛など得られぬが道理」

いつもは子供らしく舌足らずなのに、妙に滑らかに言葉が紡がれた。まるで言
い慣れた言葉のように。

「ジンと父上はちがうのだ」

うつむいた褐色の頬に髪から雫が滑り落ちていく。

「――ちがうのだ・・・」

俺は無言でその様子を見つめていたが、そろそろ我慢の限界なのでおもむろに
手を浴槽から出した。そして洗面器の中に入れられたあるモノを掴むと、素早
くディーに向けて引き金を引いた。

「ぶひゃっ?!!」

案の定、突然顔に吹き付けられた冷たい水に驚いて奇声を発するディー。俺は
とくに反応を示すでも無く淡々とディーに水鉄砲で攻撃を仕掛けていく。

しばらくは 「ひぃや!?」 やら 「つめたッ?」 など混乱に陥っていたディ
ーだったが、慣れてきたのか正気に戻ると凄まじい勢いで俺に突っかかってき
た。

「なんだその奇ッ怪な物体はっ?!!そなたもいい加減にせぬか!!」

それも全く意に介さず返事も返さない俺。

「だからっ、聞いておるのか!?」

逃げ回るディーに無言で攻撃を続ける。

「ジン・・・ッ、ジン!!」

しつこく続ける。

「〜〜余の言葉をきけ、ばかもの!!!」

堪忍袋の緒がぶち切れたのか、湯船に飛び込んできたディーが俺の腕に掴みか
かってきた。俺が水鉄砲から手を離しても、力一杯拳を叩きつけてくる。

「余をないがしろにするのもいい加減にしろ!!ばかばかばかばかばか!!!」

感情が昂ぶったからか、次第に涙声になるディー。

「・・・ジンなぞ、ジンなぞだいっきらいだ・・・! っうあぁああぁぁぁああん!!」

叩きつける拳も弱弱しくなって、後はただ盛大に泣き続けた。





「酷ぇコト言うがな、俺にはお前の気持ちなんぞサッパリ理解出来ねーんだわ」

泣き疲れたディーがぐったりとする頃、俺は抵抗する気力も無いディーを膝に
乗せてあやしながら適当に話し出した。

出だしの一言に体をビクつかせたが、腕に力を入れると肩に顔を伏せて大人し
くなる。

「そりゃ血の繋がりつーのは重要だと思うよ? けど親子もある意味運という
 か何というか、ねぇ」

ゆっくりとしたリズムで背中を叩きながら天井を見上げた。
落ちそうで落ちない露がゆらゆら揺れている。

「それだけに頼るモンじゃねぇだろ。生み親より育ての親っつー言葉が表すよ
 うにだな、築き上げた愛情ってのが最終的にモノを言うんだよ、血なんかじ
 ゃなく」

何も言わないディーの頭を撫でて、少し迷ったが言葉を繋げた。

「・・・たとえ血が繋がっていても、家族として情の湧かない人間もいる。それがお
 前の父親かどうかは判らんが」

俺の肩を掴むディーの手に力が入る。

「・・・・無責任に言うけどな、お前は聞き訳が良すぎるというか溜め込みすぎると
 いうか。そんなんじゃ将来キレる若者になっちまうぞ?」

ディーの脇に手をかけて、グイッと目の前に持ち上げた。真正面から目を合わ
せて、驚いたように見開かれた翠の目を覗き込む。

「さっき俺に言ったみたいに「ボクをないがしろにする父上なんかきらいだ!」
 とぶつかって行くも良し、むしろお前から切り捨てればなお良し」

にっと笑った俺の顔を、ポカンとした顔で見つめるディー。パッと手を離して
みれば、ディーはバシャンと湯につかって飛沫を浴びた。

「俺と父親は別次元だがな、俺はお前をそれなりに可愛がってやるさ。誰もお
 前の名前を呼ばねえっつーんなら、今みたいに愛称でだって呼んでやるさ」

その間抜け面を見下ろして、嫌味ったらしく笑いかける。

「・・・ま、お前はきらいな俺から構われても不快なだけかも知れませんがね?」

鼻っ柱を指ではじくと、俺を凝視したまま咄嗟といった感じに鼻を押さえたデ
ィーは微かに呻いた。そして何度も首を横に振る。

「きらいではない!きらいではない!不快などともおもわぬ・・・・」

「おーおーそりゃよかった。―――判ったからちっと落ち着け、目ぇ回すぞ」

頭を鷲づかんで動きを止めると、ディーは泣きそうな顔で笑った。





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