油断大敵


佐藤にも味合わせたかった摩訶不思議。だがヤツは何事もなく我が家のバミュ
ーダ水域からの帰還を果たした。とてもじゃないが納得出来ないこの現実に、
俺は学校の諸先輩方の胸を借りてくすぶる怒りを静めた。


「あんた、何でお風呂入るのに海パンはいてんのよ」

そしていざ戦場に赴かんとする俺に、お袋が訝しげに問いかけた。

「万が一に備えて」

俺の返答に更に不可解な顔をしていたが、それ以上追及することもなく寝室へ
と消えていく。俺としてもこんな格好は不本意で仕方が無いが、またあのワン
ダーランドに迷い込んでしまった場合を考えると、マッパで戦うのは流石に心
もとない。海パン着用での入浴など俺の流儀に反するが、ここは我慢である。

じっと水面を見つめていたが、意を決して片足を突っ込む。そのまま数分様子
を見て、ゆっくりと体を沈めていった。



――ああ。やっと俺の元に平穏が戻ってきた。



入浴してから30分が経過したが、浴槽がジャグジーになることも無ければ飛
び込みプールになることも無い。
俺は完全に力を抜いてこの極楽浄土を久々に満喫した。





いつの間にか眠ってしまっていたらしい俺が気づいたのは、それから10分程
経った頃だった。いつかを思い出させるような、不吉な感覚が俺の体を走って
いる。


「・・・・・まさか・・・・・・」


ゆっくりと視線を足の間に落とした次の瞬間、大きな水飛沫を上げてあの子供が姿
を現した。
苦しげに咳き込みながら、涙目で俺を見上げる。


凍りついた子供と、無表情に見つめる俺の瞳が交わった。


「・・・・いらっしゃ〜い」

俺が口を開くと、子供はハッと我に返って辺りを見回し始めた。そして大きく
目を見開くと、脅えた瞳で俺に視線を戻す。

「ままままたそなたか!い、いったい余に何をしたのだ・・・・!」

そして泣きそうな目をした子供はまたゲホゲホと咳き込み始めたので、俺は溜息を
吐いて子供の体を引き寄せた。肩に触れた瞬間 「ッヒ」と息を呑んだのはナチュラル
にスルーして、赤ん坊を抱くようにして背中を軽く叩いてやる。

「別に取って食いやしねーから、落ち着け。な?」

ガチガチに体を固めて目をこれでもかと見開いていた子供は、そんな懐深い俺
の顔を穴が開くほど凝視していたが、辛抱強く宥めつづけるうちに呼吸も安定
して体の強張りも取れていったようだった。

「・・・なぁ、お前、どうやってここまで来たんだ?」

俺の肩に頭を乗せてボーッとしている子供に問いかける。子供の格好は最後に
見た時と同じく白い布を腰に巻いているだけだったが、良く見れば妙に触り心
地の良い生地で金の飾りが留められてある。ここまで来て常人だとは思わない
が、やはりどう見ても只者では無い。

「・・・・・・わからぬ。湯殿に入った瞬間、余の体はあつい湯に包まれていた」

まーとっても身に覚えのあるお言葉ですこと。

「・・・あー、俺もおんなじだわ」

嫌な共通点に遠い目をすると、子供は驚いたように俺の顔を見上げてきた。

「それはまことかっ?ではそなたも水中を通って参ったのか」

「そーゆーコトになるんかねぇ。何でかは知らんけど」

俺が欠伸をしながら応えると、子供は俺の顔をマジマジと覗き込んで不思議そ
うに眺め回した。

「・・・そなた一体どこの者だ? フィエロンの者ではないな」

「んな舌噛みそーな名前聞いたコトもねぇな。ここはジャパン、日本国。
 俺は陣、高須賀 陣だ」

「ジン・・・・?」

俺を凝視するデカイ翠の目が、驚いたように瞬いた。

「・・・ではここは神々のすまう天上の国か!?」

「だから日本だっつってんだろボケ。確かに神様は推定八百万以上いるけど」

「しかしそなた、精霊ではないのか」

「何でそうなる?」

「った!」

素っ頓狂なコトをほざき出した子供のデコを軽くはじく。

「そ、そなた、名を“ジン”と申したではないか!それは風の精霊の名だろう?」

少し赤くなったデコを撫でながら、子供は唇を尖らせて見上げてきた。小憎ら
しいほど可愛らしいその顔を見て、思わず俺の手が伸びる。

「むぅひぇ?!」

「お前の国はアラビアン・ナイトか何かか? あ? 俺は列記としたホモサピエ
 ンス、女の股から生まれた人間ですよー。よりによってあんなブサい精霊と
 間違うとは、喧嘩でも売ってんですかーあ?」

「ふむぅ!」

突き出ていた唇をムニュッとつまむと、子供は目を白黒させて俺の腕を掴んだ。
しかしそんなちまっこい手でどうこうされる俺では無いので、思う存分遊び倒
す。 「む〜・・・」 という唸り声に力が無くなった頃、最後にムニムニと押して
手を離した。

「・・・・・・・・ぅうぅぅ」

ちょっと涙目で俺を睨むが、適当に頭を撫でてやると戸惑ったように視線を揺
らす。しばらくその俯きがちな顔を眺めていたが、いい加減俺がのぼせそうだ
ったので風呂から出ることにした。濃い肌の色で気付かなかったが、子供はも
うのぼせ気味かもしれない。

「よ、っと」

「ッ?!」

赤ちゃん抱っこのまま立ち上がると、子供は驚愕して俺の首にしがみついた。

「なっ!」

「アチィだろ? とりあえず風呂からでっぞ」

硬直している子供に告げ、背中を叩いてからもう一度しっかり抱え直した。

「そういやお前の名前は?」

浴槽から足を出しつつ訊ねると、呆然と俺を見つめていた子供はそれでも
ムッとした顔で言い返してきた。

「そなたにはいちど申したではないか」

「あー、俺も人の子なんでパニくってたんだわ。つーワケで覚えて無い」

「・・・ルシュディー・オーリス・ファリャ・フィエロンだ」

「長ぇ。どこまでが名前だそりゃ」

「ルシュディーが余の名、オーリスが父上の御名、ファリャ・フィエロンが正
 統なるフィエロンの子という意味だ」

「要はルシュディー君推定5歳でいいのかな?」

「余は5歳ではない、6歳だ!」

「変わりゃしねーよチビ」

「な!!!」

「つーかルシュディーめんどいな。いっそディーでいこう」

「なんだそれは!?」

「愛称」

脱衣所で体を拭いてやりつつ応えると、何故かディーは言葉に詰まったように
沈黙した。俺が訝しげに見やれば、ちょっと泣きそうな顔で俺のことを見つめ
ている。

「どうした?」

あまり見ていて気分の良い顔では無かったので、頭にタオルを乗せてグリグリ
と撫で回す。しばらくして覗き込めば、ディーの顔に微かな笑みが浮かんだ。


それに笑い返してTシャツを着せようとした瞬間、脱衣所の扉がガチャリと開き、
仕事から帰ってきた親父が顔を出した。


「お、何だお前いたの・・・・か・・・・?」

脱いだYシャツ片手に俺を見た親父は、Tシャツを持ったまま床にしゃがみ込
む息子をみて言葉を途切らせた。



その視線の先には、床にまるまったタオルが一枚。




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