災難は続く


昨日の記憶はサクッと無かったことにして、憂さ晴らしにヤンチャなお兄さん
達と格闘した今日。すっかり気分も良くなった俺は、何の躊躇もなく湯船に足
を突っ込んだ。


・・・だから、いつの間に俺んちは飛び込みプールになったんだっつーの。


俺の膝程度しかないハズの浴槽なのに、何故か俺の全身までぬるま湯に包まれ
ている。驚いて口を開けばゴボリと大きな気泡まで吐き出されていった。下
を見れば底の見えない深い青、流石にこりゃやべえと思った俺は、明るい水面
の方へ急いで湯を掻き分けた。


「ッゲほっ、ッハ、」

勢い良く水面から顔を出して、大きく息を吸い込む。水中で息を吐き出してし
まったので、かなり呼吸が苦しかった。

「あ゛ーー、クッソ喉いてぇ」

ようやく落ち着いてきたので、顔にかかる髪をかき上げながら周囲を見渡す。
溺れかかった程の深さが、いつの間にか腰骨程度にまで浅くなっていた。しか
も見渡す限り水面が続くだだっぴろい空間、もとい風呂と思しき場所に立って
いる。

「・・・・・どこの豪華室内プールだこりゃ・・・」

俺が立っているのはほぼ中央、風呂なのに何故かある噴水の前。薄く黄色がか
った石で作られた室内は、歴史か美術の教科書に載ってるような素晴らしい彫
刻で彩られている。


だがそんな内装など、二日連続オアシスを奪われた俺にとってはゴミ同然だった。


「ッヒ!!?」

思いっきり噴水の側面に拳を叩きつけた瞬間、小さく息を呑む音が室内に響い
た。ポロポロと零れ落ちる噴水の欠片から視線をはすし、ユラリと顔を上げて
見てみれば、二重三重に垂れ下がる布の前に見覚えのあるガキ。

「――お前・・・」

知らず寄った俺の眉に、子供はビクッと震えて後退さった。その動きに布がた
わんで、綺麗な波が広がっていく。

「・・・おい、」

「っだ、誰か、誰かおらぬか!!衛士、衛士!!!」

とりあえず話を聞こうと思って声をかけると、凍り付いていた子供は凄まじい
勢いで人を呼び始めた。まるでどこぞの変質者に遭遇したかのような反応に、
俺のこめかみがピクリと脈打つ。

「テメェ、ちっとこっち来いや」

片頬を歪めて笑う俺に、ますます子供の顔色が青褪める。これはもう一度教育
的指導が必要だと感じたので、俺はジャバジャバと湯を掻き分け子供に近づい
ていった。

だが後十メートルといったところで、子供の後ろから野太い男達の声が響いた。

「殿下、何事でございますか!」

「曲者!?」

もはや入り混じって何がなんだか判らないが、俺が曲者と見なされたことだけ
は判る。俺を凝視したままの子供にこの事態をどうにかしろと言いたかったが、
その必要は一瞬で無くなった。


「ごバァ!!?」


瞬きの瞬間で、俺の体はバックトゥーザウォーター。またもや深い水中に沈ん
でいる。


「ッざっけんなクソが!!!」


もはや許容の限界だったので、即座に水面から顔を出して怒鳴りつけた。


「―――あ?」


だがしかし。


「なに大声出してんのよこのバカ息子!!ガス止めるわよ!?」


そこは既に、俺の慣れ親しんだ築15年の浴室で。


「・・・・・・・何なんだ一体・・・・・・」


もはや俺のオアシスでは無くなってしまった室内を眺め回し、俺は過去最短で
入浴を終えた。




*




「あら?あんたもう出てきたの?珍しいコトもあるもんねー」

テレビの前でアイスを貪るお袋に、俺は澱んだ眼差しを向けて呟いた。

「・・・・なぁ、ウチはなんか呪いでもかけられてんじゃねぇの・・・・?」

「はぁ?そんなのかけられんのはアンタぐらいでしょ。お母様は清く正しく美し
 く生きていますからね」

「んな上等な女かお前が」

「なんですって?」

「スイマセン総ちょ、うッ!!」

かつてこの界隈を賑わせた伝説のレディース、その総長であったお袋の延髄切
りが目にも留まらぬ速さで俺に決まる。過去を匂わせる発言をした瞬間、お袋
は過去を髣髴とさせる威力でもって俺を沈黙させた。流石俺のお袋。お袋の
伝家の宝刀、黄金の右足から繰り出される足技の数々は今も息子にしっかりと
受け継がれている。その身を持ってして。

「くだんないこと言ってないでさっさと寝なさい」

19で俺を生んだお袋は、36にしては若々しい容姿をしている。その数多の
男どもを葬り去ってきた足で新聞を引き寄せながら、犬を追い払うが如くしっし
と手をひらつかせた。



俺はその日、生まれて初めて溺死する夢を見た。






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