――嗚呼勇者様――


言葉の壁は越えれても、文字の壁は越えられないと気がついたある日の私。
馬鹿は死んでも治らないと言いますが、私の知的好奇心も死んでなお一層その欲求を高めたようです。

しかしいざ学習に勤しもうとしても、霊体である私は物質をすり抜けてしまい、 書物などから独自に学ぶには些か条件が厳しくもあります。
かの有名な二宮金次郎や蛍雪の如き労苦から鑑みれば、私の現状など如何ほどのものかと 笑われてしまうかもしれませんが、学びの道が豊かに開かれていた過去において、 ずいぶんと甘やかされてきた私にはやはり厳しい。

仕方なく私は拠点としていたゴーストタウンの教会を離れ、近場の街まで情報収集に向かうことにしました。

霊体ですから姿はもちろん、気配も楽に消すことが出来ます。
そうして目に付いた人間の背後に取り付き、ひっそりと情報収集に専念した結果、なんと私はまさしく亡霊と 呼ばれるに相応しい技を会得するに至ったのでした。

その技とは文字通り、『依りて憑く』こと――そう、『憑依』です。

ある時ひょんな事から生者の肉体に入り込んでしまった結果、私は被憑依者の意識を完全なる支配下に置き、 なおかつその人間の知識や記憶までも自由自在に引き出すことが出来るようになったのです。
その時の驚きといったらもう・・・。

こうしてますます人間離れしていくのかと思うといささか複雑な気がしないでもありませんが、 それ以上に未知への興奮が勝っています。

そう、死んでもなお私の前には無限の可能性が広がっていたのですから、これを喜ばすして何を嘆くことがあるのでしょう?


「あぁ・・・・本当にきれいだ」


久しぶりに肉眼で見た血のように赤い夕焼けは、深い感慨をもって私の心に焼きついたのでした。



***



「――な、知ってるか? また『亡者の町』で二人やられたって話・・・」

「逃げ帰った奴から聞いた話じゃ、町の外まで瘴気が満ちて息もままならねぇっていうじゃねぇか。 その上そこらじゅうアンデッドがうじゃうじゃしててよォ・・・。想像しただけでたまんねぇな」

「今はまだ第三級だが、じき第一級に変更されるという話だ。アンデッドとしては既に前代未聞だが、 これはもしかするともしかするかもしれん」

冒険者と思しき男性達が、沈鬱な面持ちでテーブルに向かい合っています。
ウェイターの男性に憑依した私はジョッキを並べながら聞き耳を立てていましたが、酒場の主人に呼ばれその場を後にしました。

「おい、表から例の奴消してこい!」

「・・・わかりました」

酒場の入り口にはギルドから配布された情報が一覧となって張り出されており、憑依したウェイターの記憶によれば 例のアンデッド――まさに私のことですね――の討伐依頼が出されたのは一年と数ヶ月前、つまり私の存在が確認されたと 同時に討伐が決定されたということになります。しかもアンデッドは通常最低ランクか一つ上の第四級に認定される ようなのですが、私は初登場から堂々の第三級――これは地球でいうところの大型肉食獣に相当する危険度のようです―― に登録されたというのですから、これで私がどれだけ驚異的なアンデッドであると認識されたのかお分かり頂けると思います。

その上、もしも先程の冒険者達が言っていたように第一級――人間と同等かそれ以上の知能を持った<魔族>、 あるいは討伐に一個中隊以上の戦力が必要とされるもの――に認定されるとなると、私の勝手なイメージとしましては 所謂ドラゴンのような存在と肩を並べるということになるのでしょうか。

それは随分と買い被られてしまったようで大変恐縮なのですが、今もこうして楽しいアンデッドライフを満喫していることを 考えますと、私も生存本能にかけては思っていた以上の実力を保持していたのかもしれません。

生前は殴り合いの一つもしたことはありませんでしたし、そもそも亡霊<アンデッド>という身の上で生存を争うというのも 可笑しな話なのですが。


「――それ」

「はい?」

酒場の主人に言いつけられた通り、自分で自分の討伐依頼を削除するというまるで不正を働くような緊張感を堪能していた私は、 いつの間にか背後に立っていた青年に呼び止められました。
一見して極普通の何処にでもいる青年にしか見えませんでしたが、この見事な気配の消しっぷりといい妙に着込んだ衣服といい、 きっと彼も数いる若手冒険者の一人なのでしょう。

その証拠に、じっと私の手にある依頼書を見つめた彼は、ひどく落ち着かない様子で冒険者ギルドの一員であることを証明する 指輪をいじりながら、ぼそぼそと聞き取りづらい声音で尋ねました。

「・・・それ、どうして剥がすんだ」

「等級変更により一時的に依頼が撤回されたのです。今後等級が確定次第、また新しい依頼書が通達されると思いますよ」

「・・・そうか・・・」

ふらりと背を向けた彼は、そのまま酒場から出て行きました。

私は手の中に残る依頼書をしみじみと眺め、記念に頂いておこうと丁寧に折りたたみました。



***



――その後、大方の冒険者達の予想通り、私はアンデッドとしては史上初の第一級に認定されることになりました。
その理由としては、魔物の中でも夜行性で脆弱な筈のアンデッドらしからぬ私の特異な性質もさることながら、 小さいとはいえ町一つをアンデッドで埋め尽くした挙句、更には溢れ出た瘴気によって周囲の森までも腐敗せしめ、 結果多くの命を蹂躙した他に類を見ない史上最悪のアンデッドであると判断されたからです。

今や私は時の人ならぬ時のアンデッド、もはや知らぬ人はいないアンデッド中のアンデッドとして悪名高く世間の 話題を席巻しています。
もうそれにつきましては今更否定のしようもありませんのでどうということは無いのですが、つい先日小耳に挟んだ噂では、 ついに『不死王』などという呼び名まで頂戴したとか。

・・・・遅まきながらここで一つ言い訳をさせて頂くとするならば、私は三人の冒険者達を追い払ってからは長いこと町の外に 出ておりましたので、その後お亡くなりなった方々につきましては私の預かり知らぬところであり、 私自身は天地神明に誓って、人を殺めたことは無いということです。

そもそも通常のアンデッドは生気を吸い取る<亡霊>タイプから死肉を漁る<動く死体>タイプの二通りに分けられるそうですが、 あいにく前者に分類されると思しき私にそれを試そうという勇気もなければ欲望もありません。


なぜなら私は理性ある亡霊であり、人間なのですから。



「・・・・『不死王』、か・・・」

新しい私自身の討伐依頼書を張り出す私の横で、一人の冒険者が非常に苦々しい声音で呟きました。

ギルドから通達される依頼にはその難易度によって等級分けがなされており、今回私が認定された第一級が 事実上の最高位であるとは周知のことながら、しかしそれを更に上回る<特級>という位が存在することも、 暗黙の了解としてこの世界の常識となっているのです。


――古代帝国アリョエの天空都市を一夜にして壊滅させた『崩落王』
――水の都キルツレスの王を狂わせ、流れる川すべてを血に染めた『流血王』
――聖地と謳われたモルガの大密林を瞬く間に灼熱の焦土へと変えた『劫火王』


人類史上最も凶悪とされるこれら三つの事件を人々は『三つの災厄』と呼び、またその原因となった三名の魔族を総じて 『災厄の魔王』と呼んでいます。

そのあまりにも強大な力の為に、いつしか『王』と呼ばれるようになった彼ら。

そんな彼らのためだけに作られたのが、<特級>――討伐不可能――という幻の位なのです。


つまり<特級>とは、そのものずばり「人知を超えた魔王レベル」だということであり、そんな彼らに続いて『王』と 噂される程の<魔族>が――つまり私のことですが――現れたのは実に数百年ぶりのことであるらしく、 冒険者達の緊張はいやがおうにも高まりつつあるようでした。



貧弱な魔王と(いつか呼ばれることになるのかもしれない)私




・・・・実際に私と対峙すれば、あまりの貧弱さに拍子抜けすると思いますがね。





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