砕けた珊瑚の白い道を歩けば、風に乗って波の音がする。



増えてゆく濃い緑に眼を向ければ、広い葉の隙間から輝く日差しが瞳を刺す。



薄い影の中から抜け出せば、目の前には懐かしい小さな家。



塩気の強い海辺の町では、林檎は甘く生らない。





「――いらっしゃい、兄さん」




青い扉を開けて出迎えた妹は、どこかふっくらとしたようだった。
街で評判の菓子を手渡せば、柔らかく頬がもりあがる。


「――・・・少し太ったんじゃないか?」
「――やだ、久しぶりに会ってそれなの!
  仕方ないでしょ、一児の母になったんだから」


ころころ変わる表情に目を細めて、続く部屋の布を捲くる。
真剣な眼差しで秤を見つめていた幼馴染が、私に気づいて顔を上げた。


「――お、やっと来たか薄情者」


眼鏡を取ってゆるんだ瞳は、懐かしい夜の海。


「――なんだ、忙しいならまた後で、」
「――いや、丁度良いから一休みするよ。
  土産くらい持ってきたんだろう?」


妹の運んできた器を覗き込んで、甘いものに目がない幼馴染は嬉しそうに笑った。


「――ここが繁盛するってのは良いのか悪いのか。
  お前、酷い隈だ」
「――ん? ああ、これは昨日急患が入ってな。
 いつもはもっと暇なもんだよ。
 ・・・・いや、でも寝不足なのは変わらないか」


目の下を撫でながら困った顔をしても、その顔は幸せそうだった。


「――ナキトったらね、最近夜泣きがひどいのよ」


――私もこのひとも、もうへとへと


妹のついた溜息も、それは温かく空気に混じってとける。

寝室からぐずり出した赤ん坊の声に、三人顔を見合わせて笑った。


「――どれ、この叔父さんがご機嫌伺いに参りましょうかね」


立ち上がった私に続くように、二人も立ち上がって寝室へと向かう。

覗き込んだ甥の顔は、生まれたばかりの妹を思い出させた。


「――ナキトはティーナに似たのかな? 随分そっくりだ」


昔の記憶を掘り起こしながら、そっと腕に抱き上げる。
慣れない感触に気が付いたのか、ナキトはじっと私を見上げていた。


「――・・・ああ、でも瞳はお前と同じ色だ」


腕の中の息子をつつく幼馴染に、むずがるナキトを母親へと手渡す。
途端に穏やかな顔をした赤ん坊は、この世の幸せを凝縮した生き物だった。


「――きっと大きくなったら、もっと似てくるんじゃないかしら」
「――それはナキトがかわいそうだ。ナキト、せめてティーナに似るんだぞ?」
「――・・・せめてってどういうことよ、兄さん」
「――そうだぞ。俺に似たって世界一可愛いことに変わりはない」


――お前だって、今にめろめろになるからな!


ふん、と鼻を鳴らした幼馴染に、呆れた眼差しを向ける。


「――・・・・お前に似た子どもなんて、俺はごめんだね」


良い子に育てよ、と頭を撫でると、ナキトは母親の胸に顔を埋めた。








――体に気をつけろよ


――また来てね、兄さん





青い扉の前に立って、遠ざかる二人が私に手を振る。


燃えるような夕陽の中で、世界は赤く染まっていった。





砕けた珊瑚の白い道も



瑞々しい青い葉も



酸っぱい林檎の黒い影さえ







塗り潰される。










「―――――――ッ!!!!」






「――とうさん!!」


鋭く息を吸い込むと、目の前には夜の海が広がっていた。


「・・・・・・・ナキ、ト?」


ぬるりと首筋を這う汗にぼんやりと手を当てる。
張られた低い天幕の支柱を見上げ、また波打つ瞳に視線を戻した。

「――とうさん・・・・おとうさん・・・・」


――いやだよ、としゃくり上げながら、私の腕にしがみ付く。


「・・・・・・ああ。ごめんな。とうさん、起こしちゃったな」

まだ月も沈まぬ静かな空気に謝罪を告げれば、潮に傷んでいない柔らかな髪は激しく左右
に揺れた。


「・・・・・・・・・ごめんな・・・・・・・・」


冷えてしまった体をもう一度毛布の中に引き込み、少しでも早く温まるように両腕で囲う。

震える体は小さくて、それでも確かな重みがあった。



「・・・・なぁ、ナキト。次はもっと寒い所に行きたいな」



呟いた私の声に、ナキトが不思議そうに顔を上げる。
おやすみ、と囁いて髪を撫でると、落ち着いたように瞼を閉じた。


















――なあ、ティーナ。お前の予想通り、ナキトはユーゲンに似てきたよ。



「・・・・なあ、ユーゲン」



お前の言った通りだ。





この子が、愛しいよ。










冷えた臓腑の底が、じわりと甦る