夜の門
俺は門番だ。名前はまだ無い。訳が無い。 しかしこの門番という役名だけで全てが事足りるような、日常の風景に埋没した存在だ。 世の中には俺の他にも数え切れないほどの門番が存在しているが、このプレトの町の門番 は俺一人なのでその点でも問題は無い。 さて、皆さんは門番という仕事を如何にお考えだろうか。 この片田舎の門番など、後ろ暗いことのある人以外は意識の片隅にも置いたことは無いだ ろうが、少し考えてみてもらいたい。 ――毎日毎日同じ時間同じ場所に立ち続けて、何て可哀想な仕事なのかしら。 ――それだけで金が貰えんなら易い仕事だろ。 ――え? この町に門番なんていたっけ? ――大変でしょうけど、慣れればこれ以上なく楽な仕事ではなくて? ――どうでもいい。 以上が、これまで俺が言われたことのある全てである。 正解だ。 大都市の門番ならともかく、このプレトに凶悪犯が逃げ込むことも魔物が出現することも 何が事件が勃発することも滅多に無い。というか俺が門番に着任してからは一度として無い。 既に顔パスとなりつつある強面の爺さん、これは毎日ご苦労なことに孫に会うためだけ に森一つ越えてやって来る。 その森の木こりは薪と捌いた肉を売りに、隣村のイーズさんは牛乳を売りにやって来る。 週一で配達人と小さな商隊が、稀に訪れるのは旅芸人。 一月に一度、三つ離れた街に嫁いだ元ミス・プレトが、町長宅に里帰りする。連れた娘は将 来有望。 出て行く人もまばらな町は、同じ動きを繰り返している。 それを退屈だと、つまらないとだけ思う人間には、この仕事はお勧めできない。 人を選ばないようでいて案外選び抜いているのが、この門番という仕事なのだ。 と、自負してみる。 「それじゃ、また来週に」 「お疲れさんです。・・・・あ、今日は少し火ィ強くして帰って下さいね」 「うん? ――判った。いつもありがとう」 「いえいえ。お気をつけて」 これも既に顔馴染みとなった商人に声をかける。 遠ざかる幌馬車に手を振って、沈みいく太陽に目を細めた。 夜が来る。 プレトの門は午後八時には閉め切られる。 それ以降はその門番も門扉を離れ、一人の町人へと。 戻りはするが、門番の家は門の横にあるのであまり変わりはしない。 「――すまん!中に入れてくれ」 「・・・またですか、ウォンさん。別に構いませんけどね」 「いや、いつも悪いな」 「全くです」 町をぐるりと囲う外壁、それと同化した門番の家の窓は、一つだけ外界に面している。 こんな風に、時たま門限に遅れた町人を迎え入れてやるのも仕事の内だ。 規律に書かれている訳ではないが。 夜は危ない。 魔物が出るというだけではない。 もっと不確かで、目には見えない感じるだけのもの、それらが忍び寄ってくる。 だから俺は、夜もこの街の門番を続けている。 彼らが門を潜らないように。俺たちの領域を侵さないように。 この夜の時間こそが、本当の意味での門番なのだ。 とか格好つけてみる。 「――今開けますから、早く入って下さい」 「あぁ、すまん。今度から賄賂用意しておく」 「俺は高いですよ」 「ウチの儲けは安い。期待するな」 「わかってますから急いで」 「へいへい」 薬屋の店主のくせに、酒の匂いをプンプンさせてウォンさんが通り過ぎる。きっとまた隣 町の酒場まで繰り出したんだろう。あそこの女将はすこぶるつきの美人だ。 機嫌良さそうに鼻歌を響かせ、家路を辿るウォンさん。 俺はそれを横目に見ながら、即座に門を閉じた。 ――道の奥の更に奥、そのどこまでも広がる闇の中に、ひっそりと何かが息づいていたから。 今夜は、きっとくる。 ―――という長年の経験通り、深夜にふと目が覚めた。 明かりをつけないまま窓を覗けば、何も見えない闇の中でも何かが居るのが判る。 だからといって、魔術師でも神官でもない俺に何が出来るという訳でもないが。 俺は門番だ。 少し勘が鋭いだけの門番だ。 俺に出来るのは、ただ門を硬く閉ざすことだけ。 ついでに魔除けの曲を弾くことだけ。 「・・・・あ〜おくはれたそ〜ら〜、し〜ろ〜い〜くも〜・・・」 いつもは気配が無くなるまで弾き続けるのだが、今夜は妙に長引いた。 リュートを爪弾く手にも痺れが走り、いい加減飽きてくる。 曲調とはまったく合わない歌をやる気なく口ずさんでみた辺りで、何気なく外を見た。 「・・・ッ!?」 リュートが落ちた。 「・・・・・・・・お前は・・・・・・」 声をかけられた。 「――――――」 窓に男の顔が浮かんでいた。 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」」 俺はゆっくりと窓から視線を外し、リュートを拾い上げた。 そして丁寧に、心を込めて魔除けの曲を弾く。 「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」」 頬に痛いほど視線が突き刺さるのを感じたが、決して振り向かなかった。 「―――門を開けてくれぬか」 しばらくして、男が窓の外で静かに囁いた。 横目にこっそり窺えば、先ほどと変わらず白い顔がこちらを見ている。 夜闇に浮かぶ顔はまったく血の気を感じさせず、長い髪も瞬かない瞳も背後の闇と同化し ていた。その白い顔だけが、ぽっかりと浮かび上がっていた。 有り体に言って、確実に人間ではなかった。 今までの彼らとも一線を画していた。 恐ろしい。 「・・・・・・・・・・・・・・・」 もちろんそんな言葉に耳を貸すことなく、俺は無心にリュートを弾き続けた。何周もルー プする魔除けは逆に俺の気を狂わせそうだったので、気分を変え聖嘆曲を奏でてみる。 それには少しばかり賭けの要素も含まれていた。 おお、神よ!哀れなこの子羊にお慈悲を! 「・・・・・・・仕方が無い」 また男が何か呟いた気がしたので、リュートから顔を上げる。 ――と同時に、息が止まった。 「許しを得ず、立ち入る気は無かったのだが」 また俺の手からリュートが落ちかけるが、男が手を添えて支える。 俺のすぐ目の前で、闇が具現化していた。 明かりの点いていない室内で、一際濃い闇が俺を呑み込もうとしていた。 「仕方が無い」 色味の薄い唇がゆっくりと動く。 暗闇から唐突に伸びてきたような真っ白い手も、リュートをなぞるように動いた。 これはやばい 門番として培ってきた観察眼が、これはやばいと猛烈に主張している。 そして俺に打つ手など無いことを本能が伝えてくる。 俺を見下ろす瞳の中に、俺は俺の命の終わりを見た。 だがしかし 外敵に真っ先にやられるのは門番の宿命、それを今更どうこう言うつもりはまったく無い。 俺は俺なりにこの仕事に誇りを持って臨んでいたので、今ここで朽ち果てようとも悔いは 片手に余るほどしか無かった。 だがしかし こんな最凶の存在の侵入を許してしまった門番として、せめて最期に町の人々に危険を知 らせなければ完全に門番失格だった。死後に怨まれるのは真っ平ごめんだった。 「――――」 闇を塗り込めたような瞳を見上げ、覚悟を決める。 門に据え付けられた半鐘、それを鳴らす紐に手をかけられるだけで良い、それだけの時間 を稼がなければ。 「・・・・ようこそプレトへ。ご用件は?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 しかし口をついて出たのは門番の常套句、このような事態に陥っていなければ自分のプロ 根性に惚れ惚れしそうだ。 俺の台詞を受け、男が初めてぱちりと瞬きをする。 その動きにさえ人間臭さは感じられなかったが、とりあえず瞬殺は免れたことに胸を撫で 下ろした。 「・・・・用、」 一寸たりとも外されることの無い白い顔が僅かに近づく。 いい加減かなり心臓によろしくない映像だったが、どこまでも白と黒で構成された男は現 実味が薄かった。まるで色の無い悪夢。俺の夢はいつも極彩色で彩られている。 「お前は、ヒトか?」 ヒトでは無いものに疑問視されるってすごいな衝撃が。 「・・・・一応」 随分昔に何度かいじめられたことはあったが、まさか本物の人外にまで罵られるとは思っ てもいなかった。 「違うな」 しかも断定。 「・・・・いえ、あの、本当にただの人間ですから。父親も母親もそのまた両親も」 少年時代に培ったはずの耐性も、プレトに移り住んでからの安穏とした生活と想定外の相 手からの暴言には薄れてしまったようだ。心なしか声が掠れている。 いつもは帽子に隠れている髪に手を伸ばされ、反射的に身を引いた。 「・・・・では何故、お前の音が私に響く? 只人である筈のお前の音が」 引いたはずの距離に関係無く、髪が梳き上げられる。 次に言われるであろうその言葉に、男に対する恐怖心と関係無く俺の顔は歪んだ。 「その理由は、お前の身に良く現れている」 『――気味が悪い・・・・。あれが本当に人間なの?』 『――・・・・うわっ、こっちくんなよ!』 『――ごめんね。お母さんが遊んじゃだめって・・・・』 『――・・・・気持ち悪いっ』 『――なんでそんな色なの?』  『――・・・・ほんとうに、人間?』 「――――俺は人間だ」 唸るように声が漏れたが、男は微動だにしなかった。 「それも間違いでは無い。だが正しくも無い」 不可解な言葉に顔を上げる。 「その姿は、先祖返りによるものだろう」 「・・・・先祖?」 「そう。お前は間違い無く、我が同属の裔だ」 「――――・・・・」 突拍子も無い台詞に恐怖も忘れ、男の顔を唖然と見つめる。 男は何度か俺の髪を撫でながら、納得したように頷いた。 「・・・・あの甘い音色。惹きつけられたのは、その精故か」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 ――出て来なさい、あの曲を作曲した人。どこが魔除けの曲なのか。小物は退けられても大物 を釣り上げては本末転倒だろうがこのxxxxxxxx! リュートを握る手に力が篭る。 男は俺から視線を外すことなく、その温度の無い手を重ねて囁いた。 「・・・夜に歌う花精は少ない。ましてお前は昼の花、永らく聴いたことの無い音色だった。  ・・・・今一度、私のために奏でてはくれぬか」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 さて、俺は何処から突っ込むべきか。 「・・・・あー、確かに俺はこんなふざけた色してますがね、花は無いよ花は」 「何を。先祖はきっと美しい薄紅の花精だったのだろう。見事な花色だ」 「俺の髪は花びらじゃないです。只のタンパク質です」 人間うんぬん以前に男がピンクの髪をしているなんてと昔は随分悩んだものだが、気持ち 悪いと罵られるほうが随分気が楽なのだということを齢二十四にして初めて知った。 空しく繰り返される問答の中、はたと気が付く。 「―――・・・・ん?」 一体どれだけの間この男と対峙していたのか、室内は薄ぼんやりと明るくなっている。 俺は全体の輪郭が捉えやすくなった男を見上げ、呟いた。 「・・・・・・・・同属?」 また一つゆっくりと瞬いた男が、俺の顎をするりと撫で一歩離れる。 その男の周囲だけが、抜け落ちたように昏かった。 「―――私は夜。私は影。世界の(イン)」 「或いは」 「闇」 昇りつつある太陽、その光の中、逆に濃さを増して告げる。 未だ残る夜の気配と沈み込むように、姿は消えた。 「――――また、夜に」
その扉を叩くのは、
「・・・・・・闇?」 いつの間にか完全に朝日は昇り、室内は明るい光に満ち満ちている。 俺は閉じたままの窓から広がる青を眺め、ただただ呟いた。 「・・・・・・・生きてて、良かった・・・・・!」 外は輝いていた。