宿り木の下、失礼な出来事



魔狼の家は大木の根元にあります。今日も大きな葉から零れる光を浴びて、王子様は気持ちよさそうに
体を伸ばしました。

「魔力があるから魔の森だなどと名をつけた者は浅慮に過ぎますね。こんなに美しいのに」

「いやソレが普通だろ」

「所詮貴方もその程度ですか」

「とばっちり?!」

王子様の後を追うようにして外へ出てきた魔狼も、王子様の隣で気持ちよさそうに寝そべっています。
そのまま二人で庭を眺めていると、ふと魔狼が顔をしかめて起き上がりました。

「どうしました?」

「・・・・・・なんかすげえ嫌な匂いが・・・」

「やだな、おれは臭くなんか無いよ?」

「?!!」

気が付けば、いつの間にかヘビが家の前に立っています。魔狼もすかさず人型になると、王子様の前に
立って嫌そうな顔をヘビに向けました。

「また何の用だラスタラクス」

「君に用事があるんじゃないよ、今日もシャートに会いに来たんだ」

剣呑な魔狼の言葉にもにっこりと笑顔を返すと、ヘビは流れるような動きで王子様に近づいて行きます。

「ッテメ、「これはこれは、お久しぶりですねえラス。私に一体何の御用ですか」

その行く手を阻もうとした魔狼を軽く押しのけると、王子様はヘビの前へ進み出ました。ヘビは自分を
見上げてくる王子様の瞳を覗き込み、すいっと瞳を細めます。

「うん、実はね、面白いコトを思い出して」

「? 面白いこと、ですか」

「そう、」


不思議そうに瞳を瞬かせる王子様を満面の笑みで見下ろしたヘビは、フワリと身をかがめました。



「ッッななななんなあああああああ゛?!!」



一瞬後、魔の森全体に凄まじい魔狼の叫び声が響き渡りました。屋根の上にとまっていた小鳥たちも一
斉に飛び立っていきます。

そんな魔狼の様子を気にもかけないヘビと王子様は、穏やかに会話を続けました。

「やっぱり驚かないよねー、君」

「想定の範囲内です。それにしましても何を突然」

「確かあれでしょ、人間のあいだでは“宿木の下はキスし放題”だったと思うんだけど」

その言葉に王子様が見上げてみると、確かに大木には宿木が絡みついています。頭上に広がる大木の枝
葉にまで伸び行く宿木を眺めながら、王子様は軽く首を傾げました。		

「・・・少し違いますね。それは神の聖誕祭でのみ有効となります」

「ええ、そうだったかなあ。でももうやっちゃったコトは仕方ないよね。ゴメンね?」

「お気になさらず」

そんな二人の様子を信じられないものを見るように凝視していた魔狼は、ブルブルと体を震わせて怒鳴
りつけました。

「なに呑気にだべってんだよテメーらッ!?ラスタラクス、てめぇマジぶっ殺す!!シャート、お前も
 何簡単にやられてんだゴルァ!!!」

ピシピシと魔狼の足元から地面に亀裂が入っていきます。高い耳鳴りに似て空気が震え、青々と柔らかく
茂っていたハーブの葉からは急速に水気が失われていきました。

それを静かに見つめながら、王子様はぽつりと呟きました。

「・・・・私が丹精込めて作り上げた庭を、壊す気ですか、アルフ」

「今はンなことどうでも「アルフ?」

じっと見つめてくる王子様の視線に魔狼は凍りつくと、そっと王子様から視線を外しました。揺れて
いた空気が収まって、ヒラヒラと大木の木の葉が舞い落ちてきます。

「あんなのキスのうちにも入らないよ。何をそんなに怒ってるんだか」

その光景を見ておかしそうに笑うヘビを、魔狼は鋭い瞳で睨み付けました。そして僅かに腰を落とすと、
喉の奥で低く唸ります。

「・・・・・・・・そーいう問題じゃねぇんだよ・・・・・・・!」

「じゃあ何?もしかして君もキスしたかっただけ?」

「な!!!」

予想外のヘビの言葉に魔狼は絶句して動けません。その魔狼の姿にヘビはますます顔を歪めます。
そんな異様な沈黙の中、王子様は軽く上を向いて考えると、ゆるやかな足取りで魔狼に近づいていきま
した。


突然目の前に現れた王子様の顔に、一瞬驚いた魔狼が口を開こうとした瞬間、柔らかく王子様がくちび
るを落としました。


「―――全く、たかだかキスの一つや二つで・・・・・・・・・・器が知れますよ」


くるりと振り返った王子様は、ヘビに向かってニコリと微笑みました。


「それで、今日の手土産はなんですか?」

「以前君が食べてみたいと言っていた“砂と嵐の王国”の果実だよ」

「わあ、良く持って来られましたね」

「まあ、おれだし」

「そうですね、貴方ですしね」

「一緒に食べても?」

「どうぞ」



ヘビと王子様が家の中へと姿を消しても、魔狼が動き出すことはありませんでした。