リ・サイクル



「「―――・・・?」」


魔狼と王子様は、同時に怪訝そうな顔で窓ガラスを見つめました。
乾いた音を立てて張り付いたのは、綺麗な淡い真珠色の封筒。

「・・・これはまた、変わった魔物ですねえ」

「イヤいくらなんでもコレは無ェよ」

びたんと外から張り付いたまま剥がれる様子の無い手紙を、王子様はまじまじと見つめていましたが、
ふとガラス越しに差出人の名を見つけて眉をひそめました。


「・・・・・・ハーシェル・モーガン・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・。」


二人の間に、何ともいえない空気が流れました。


「さて、燃やすか」

何事も無かったように魔狼が立ち上がり、ついでとばかりに室内のゴミをまとめだします。
王子様も何も言わず、ただじっと封筒を眺めているばかりです。

しかし、魔狼が玄関の扉を開けた途端、それまでピクリともしなかった封筒は、目にもとまらぬ速さで
室内へと滑り込んで来たのでした。

「・・・まるで差出人そのものだな」

魔狼が半目で王子様の目の前に落ちた手紙を見下ろしますが、王子様の手も拾おうかどうしようか迷う
ように揺らめいています。見ればその封筒はとても高価な紙が使われているようで、分厚く微かに灰色
の光沢を纏っていました。

「・・・ん?」

二人の足元に鎮座したままの手紙に、魔狼が腰を屈めて顔を近づけました。
スン、と鼻を動かして、見透かすように目を眇めます。

「どうしました?変質的な香りでも嗅ぎ付けましたか」

「判りたくもねぇよンな臭い。じゃなくてよ、コレ、結構強力な魔法がかけられてんぞ」

「何ですって?」

「そうだな・・・、二重、いや三重か」

「それはそれは、一体どのような魔法で。事と次第によっては貴方の出張が決まりますよ」

「俺に何やらせる気だよお前」

「私に危険物を送りつけてくるような輩を野放しにしていても良いと思っているのですかこの魔族」

「ワケわからん悪態をつくな!魔族がどうした魔族が!」

「魔族なら魔族らしく売られた喧嘩は買いなさい」

「俺は売られてねーよ!!」

「何を言っているんですか?それでも男ですか?男なら自ら闘争の炎に身を投じなさい」

「お前も男だろうが・・・!」

「人にはそれぞれ得手不得手というものがあるのですよ。闘いは貴方、それを癒すのは私といった風に」

「――ッ、」

魔狼の頬骨にはしる傷跡を王子様がそっとなぞると、魔狼はピクリと震えてその細い指先を掴みました。
咄嗟の反応だったようで、力加減を誤ったのか王子様の体もよろめきます。


「っ悪ぃ、」


魔狼の方に倒れかかった体を慌てて抱きとめて、魔狼は王子様の顔を覗き込みました。きゅっと閉じら
れていた瞼がゆっくりと開いて、鮮やかな深紅が魔狼を見上げます。それに息を呑んだ魔狼は、王子様
の腰に回していた腕に力を込めて、そっと王子様の白い頬に手を当てました。


「――あ。」


引き寄せられ背筋をのけぞらせた王子様が、魔狼の顔から視線をずらして呟きました。
横に逸れた王子様の頬に唇が当たった魔狼も、低く唸りながらその視線の先を追います。


「・・・あ。」


テーブルの上で倒れたカップから、紅茶が手紙の上へと滴り落ちていました。


「困りましたね、これではもう手紙は読めませんねえ」

「その笑顔のドコが困ってるんだ?」

「私としても心苦しいのですよ?せっかく頂いた手紙を無下にするなど」

「中を確かめもせずによく言う・・・。第一、コレは無傷だ」

その言葉に王子様がよく見てみると、確かに真上から紅茶を被ったはずの手紙には染みひとつ付いてい
ません。まるで手紙を避けるように、その周囲に紅茶が飛び散っています。

不思議そうに首を傾げる王子様ですが、やっと床から嫌そうに手紙をつまみあげた魔狼が、その疑問に
答えを出しました。

「言ったろ、強力な魔法が三重にかけられてるってよ。一つは追跡、一つは反射、後一つは反映だ」

「追跡、とは随分とまあご大層な名前ですね」

「そ、それは仕方ねえよ、魔の森に配達できるような配達人なんていねえだろ」

「えぇもちろん判っていますよそんなこと。ですが、それとこれとは話が別で」

「あぁそうそれで水を弾いたのは反射だな!無事に届くようにっつー防御魔法だ」

「・・・・・・・・へえ、そうですか」

「な、何だその顔は」

「失礼ですね、別に獲物を狙う獣のような目なんてしていません」

「誰もンなこと言ってねえよ!自覚アリかよ!!」

「で、そのような魔法がかけられていて、封を切るにはどうしたら良いのですか?」

「・・・・・・・。対象が決められてる結構高度なヤツだ。受取人なら魔法は無効化すると思うぜ」

「ふふ、そうですか・・・・」

うっすらと微笑む王子様に、魔狼が一歩後退ると、王子様は白い手の平を魔狼に差し出しました。
困惑した魔狼でしたが、とりあえずその手を取ります。
一瞬、王子様は動きを止めましたが、空いた方の手で魔狼の額をペチリと叩きました。

「貴方はいつから身も心も犬畜生に成り下がったんですか。手紙を渡しなさい手紙を」

犬、という言葉に魔狼が口を開きかけますが、王子様の柔らかそうな手の平を握ってしまったのはお手
以外の何ものでもありません。魔狼は無言で王子様に手紙を渡すと、不貞腐れたように窓際のソファー
に横になりました。

「この魔法、持続力は如何ほどですか」

「・・・・・・・さぁな、まあ向こう一年は持つんじゃねーの」

カサカサと手紙を開く王子様に顔を向けもせず、更にごろりと背中を向けて寝そべります。しばらくそ
んな魔狼の耳に紙のこすれる音が響いていましたが、シャキリ、という異音に首を持ち上げました。

「って何やってんのお前?!!」

魔狼は思わず体を起こして叫びました。見れば王子様の手の中で、封筒が順調に元の一枚の紙の姿を取
り戻していきます。それを更にハサミで切っていた王子様は、にこやかな顔で答えました。

「見て判りませんか、解体作業中です」

「だから何で!!」

「私の図画工作意欲が刺激されたのですよ。いやあ、流石〈灰〉の魔術師、良い仕事をしていますねえ」

「・・・・・・・・・・・。」

もはやそれは封筒では無く、ただの長方形の厚紙でした。

「――ん?それ・・・・・」

ふと、魔狼がその形を見て眉を顰めました。
王子様の手によって形を変えられた元封筒は、どこかで見たことがあるように思えて仕方ありません。

「先ほどの紅茶の飛び散り方からして、反射は広範囲で効果を発揮するようですね。なんて便利な魔法
 なんでしょう。まさにこの為に使えと言わんばかり」

言いながら、王子様がするりと本の中に元封筒を挟みこむのを見て、魔狼から力が抜けました。

「・・・・・栞・・・・。」

先日、王子様はちょっとした不注意から読みかけの本の上に水差しを落としてしまったことがありまし
た。その時の王子様の意気消沈ぶりといったら目も当てられないほどで、その日一日魔狼は王子様を宥
めるのに苦労したのでした。

元封筒の綺麗な栞を挟んだ本に、王子様は試しとばかりに水滴を落としていきます。
それらがピンっ、ピンっ、と跳ね返っていくのを見て、王子様は満面の笑みを浮かべました。

その笑顔に、魔狼も「まぁいいか、」とゴロ寝を再開しようとしましたが、視界の端に折りたたまれた
紙が映ったので、何とはなしに手に取るとぺらりと開いて読み始めました。

「――おや。それは一応私宛ての手紙なんですが、アルフ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・アルフ?」

手紙を顔の上で開いたまま固まってしまった魔狼を不審に思い、王子様もソファーの横にしゃがみ込ん
で覗いてみると。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」


品の良い薄いグレーの紙の上には、目に痛いほど鮮やかなブルーのインクで、筆舌に尽くし難い王子様
へのメッセージが書き連ねられていました。


「「・・・・・・・・・・・・・・。」」



こてり、と王子様が魔狼の胸の上に頭を落すと、魔狼も疲れたように手紙を持つ手を下ろしました。











「ところで、最後の反映とはどんな魔法なんですか?」

「ああ、そりゃお前からの返事代わりにするための・・・・」

「ための?」

「・・・・・対象の姿を術者の元に映す魔法だ」

「「・・・・・・・・・・・・・・。」」

「っま、待て!ちょっと待て!俺が処分してやるだから落ち着け!!」