迷いの森の住人



――それは、王子様が魔狼と暮らし始めてから一月がたったある日のこと。


王子様を家に招き入れたその日から、魔狼は狩りに出てはいませんでした。
王子様が魔の森での生活に慣れるまで、なるべくそばに居てあげたのです。
しかし流石の魔狼もずっと食べないでいるわけにはいかなかったので、一ヶ月目の昼下がり、
ついに狩りに出ることにしました。


「お前が来る前から喰ってなかったから、ちょっと限界なんだわ。しかも目の前にお前いるし。
 つーワケで狩り行ってくる」

「あ、貴方やっぱり肉食だったんですね。私はもうてっきり菜食主義な魔物なんだとばかり」

「なワケねーだろうがよ!お前ほんっと魔獣ナメてんのな!!」

「そんなことはありませんけど。菜食主義な私の食事に付き合って下さって、嬉しかったですよ」

「――ハッ、べつに・・・。腹の足しぐれぇにはなっし、・・・・・」

「へえ。魔狼も尻尾をふるんですねえ」

「!!!!っ、テメッ、」

「ついでに木の実でも採ってきてくださいね。あとキノコも」

「〜〜〜〜ッ、ひとりでフラフラ出歩くんじゃねーぞ!」

「ええ、アルフもお気をつけて」

「・・・・・・・・・・・・・おぅ」

 
魔狼の棲家の中とはいえ、長い時間王子様を魔の森に残すのは初めてのこと。
魔狼は不安な気持ちでいっぱいでしたが、さっさと狩りを終えるため、
勢いよく森へと駆け出していきました。


こうして、王子様の初めてのお留守番は幕を開けたのです。




*



「―――とかなんとか言いましたが、そろそろこのお茶切れそうなんですよねえ・・・」


魔狼を見送ってから早2時間。簡単に家のお掃除を終えた王子様は、
3時のお茶を用意しながらポツリとつぶやきました。

この魔の森に来てからというもの、暇をあかした王子様は、魔狼が採ってくるふしぎな果実やハーブ、
周りに咲く野ばらを使ってお茶をつくることを、ひそやかな楽しみとしていたのです。
王子様が飲もうとしていたそのお茶は、とてもきれいな透き通る水色をしていました。
見た目のように爽やかなのど越し、そしてあとから香るほのかな甘さ。
まさに王子様の最高傑作ともいえるお茶でした。

そしてなにより、そのお茶は、魔狼がとても気に入っているものだったのです。

そのお茶の材料となるあおい花は、魔狼の家からさほど離れていない、ちいさな泉のほとりに
群生していることを、王子様は知っていました。
危険の少ない家の周り、ほんの少ししか出歩けない王子様を、一度だけ魔狼が
連れ出してくれたからです。

王子様は悩みました。魔狼はまだ戻ってきそうにありません。しかし王子様はどうしても、
狩りで疲れているであろう魔狼に、そのお茶を飲ませてあげたいと思いました。



――そして王子様はひとり、かすかな記憶を頼りに、魔の森へと一歩を踏み出したのでした。



*



「・・・これがあれですか。俗にいう迷子というものですか」


案の定、少しもしないうちに、王子様はちいさな泉どころか帰り道さえ判らなくなってしまいました。

しかしそれも当然なことで、この魔の森は別名「迷いの森」といわれ、魔力のないものの
方向感覚を狂わせるということで有名だったのです。

もちろん王子様もそのことは良く知っていましたが、実は王子様のお母上は聖女であり、
その類まれな聖力は一人息子の王子様にしっかりと受け継がれていましたので、
王子様は魔の森でも動き回ることが出来たのでした。

しかし王子様の聖力も、この魔の森の深部では通用しなかったようです。
結局、王子様もその例にもれず、あっという間に森の魔力に囚われてしまったのでした。



*



「――へ〜え、こんなトコに人間がいるなんて、ね」


迷ったときにはその場を動かない、という迷子の鉄則に従い、王子様が木陰でのんびりと
焼き菓子をたべていたときのことです。
突然、どこからか王子様に話しかける声が聞こえてきました。しかし王子様が周りを見渡してみても、
たけだかい木々に囲まれて、だれの姿も見えません。

「っはは、上だよ、うーえ。君の、真上。」

おかしそうに告げるその声のままに王子様が顔を上げると、王子様のあたまの上、
はりだした太い枝にグルグルと巻きついたとても大きなヘビが一匹、
王子様のことをじっと見下ろしていました。

「・・・わ、すっごい美味しそうなんだけど」

するすると降りてきたヘビは真正面から王子様をみつめると、
目を細めながらうれしそうにつぶやきました。

「それはどうも」

王子様がお礼をいうと、そのヘビは鋭いきんいろの瞳をまんまるに見開きました。

「魔物に舌なめずりされてお礼を言うなんて、君ってバカ?」

「褒められて悪い気はしませんが。それよりも、初対面の人間にむかってバカとは何です失礼な」

「人間から魔物に礼を求められても――って違くて。怖くないの?おれ食べる気まんまんだけど」

王子様の胴と同じくらい太いヘビはそう言うと、座る王子様のひざの上に乗り上げながら、
王子様の頬をチロリとなめあげました。

「―――うん。やっぱりすごくあまい、」

満足そうにヘビは笑うと、何度も王子様の頬をなめあげました。
そして首元まであたまを下げるとグアッと大きく口をひろげ、鋭い牙をむきだしにしました。

そのとき、今までだまって見ていた王子様は、おもむろにヘビのくびを抱えると、
おどろいて動きをとめたヘビの開いたままの口の中に、
それまで持っていた食べかけの焼き菓子をほうりこみました。

「!?!?」

「あまいものが好きだなんて、なんだか気が合いそうですねえ。
 それ、初めて作ってみたものなんですが、なかなか美味しいでしょう?」

「――ぅゴほッ、な、」

「あぁ、やっぱりちょっとヘビには食べづらかったですか。この果実は水分たっぷりですから、
 飲み物がわりにどうぞ」

王子様はのどをつまらせるヘビに、今度は持ってきていた水筒がわりの果実を食べさせました。
そしてヘビが無言で果実を咀嚼するなか、そっとヘビの背中をさすってやりました。

「――――――ッハ、ちょっと、君ねぇ・・・・!」

何とかひとごこちついたヘビが、ギラリと瞳を光らせ王子様に鋭い視線を投げかけると、
王子様はヘビをさする手もそのままに満面の笑みをうかべてヘビを見返しました。

「私、ヘビをさわったのなんて生まれて初めてなんですよ。一度はふれてみたいと思ってたんですけど。
 まさか最初の一匹がこんな立派なヘビになるだなんて、やはり日頃の行いとは大切なものですねー」

そしてヘビが口を開く間もなく、王子様はヘビの体をぎゅっと抱きしめ、
頬をぴとりとくっつけながら言葉をつなげました。

「思っていたよりも冷たくはないんですね。
 ひんやりとしていて、ほのかにあたたかい。とても気持ちがいいですねえ。
 それにヘビと言いますとなんだか毒々しくて下品な色合いしか思い浮かばないんですけど、
 貴方はきれいな銀灰色で、金色の瞳も満月のよう。 
 まるで、神話にでてくる月神さまの御使いのようです」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

呆然としていたヘビは王子様の言葉がとぎれると、無言で王子様の顔をながめました。
そしてゆっくりとひとつ瞬きすると、瞳を眇めて問いかけました。

「・・・おれの名前はラスタラクス。君の名前は?」

「私の名はシャートといいます。どうぞよろしく」

「・・・・よろしく、ねえ。ふふ、」

おかしそうに笑ったヘビは、そのままゆるく王子様の体にまきつきました。


「――ところでラス。きれいなあおい花が咲く、ちいさな泉を知りませんか」

「・・・泉?
  ・・・魔の森にある泉のそばには、たいていその花が咲いているけど。
  ここの近くにもひとつあるね。そこでいいのかな?」

「ああ、たぶんそうです。あまり動いてはいないはずですし」

「ふぅん、それで?君はそこに案内してほしいわけだ?」

「その通りですが、いけませんか」

「いィや、そんなことはないよ?
 ・・・ただ、おれの好きなようにさせてくれるなら、ね」

そう言って、ヘビは王子様から身を離すと、瞬きの間に人型へと変身し、
王子様を軽く抱き上げてそのまま泉へと向かいました。

「ここには人型になれる魔物って、たくさんいるんですかねえ?」

「いや、そんなことはないけど? というか、君、まったく気にしないんだねー」

「貴方がひざに乗っかってたせいで、足がしびれてたんですよねえ。ちょうど良かった」

「・・・・・・・・や、ほんといいもの見つけたな〜」

「まったくです」


こうして、魔の森に棲むヘビと仲良くなった王子様は、
無事、きれいなあおい花が咲くちいさな泉へと辿りつくことができたのでした。






―――王子様の匂いをたどってきた魔狼とはち合わせるのは、あともうすこし。