悪戯は予告しない



「――ただい・・・まッッ!?!?」


扉を開けて顔を上げた魔狼は、肩に乗せていた荷物をゴトリと床に落としました。


「お帰りなさいアルフ。寒いので早く扉を閉めて下さい」


椅子に座ってお茶を飲んでいた王子様は、魔狼の分のお茶を用意するために立ち上がりました。


その頭の上には、艶々と輝く白い耳がふたつ。


「っお、おま、おま、おまッ?!」

「ふふ、そうしていますとまるで本物の馬鹿のようですよ?」

「バッカはお前だ何してんだマジでお前はよ!?」

「酷い、まさか私が自ら望んでこのような恥辱にまみれた姿を晒しているとでも」

「それ以外に何がある!」

「呪いとか」

「ハァ!?」

「誰かさんの願望が見せる幻とか」

「無ェよ!!」

「第三者による強迫とか」

「あるかッ―――いや、待てよ・・・・?」


王子様の肩を鷲掴んだままうんうん唸り始めた魔狼に、微笑んだ王子様が口を開くよりも
早く、キッチンから大きな声が響きました。


「シャートさんっ!プディングが焼き上がりました・・・・よ・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


刹那交差した紫と琥珀に、室内の空気は音を立ててひび割れました。


「・・・・・・・・お前・・・・・・・」

「ッッ!?」

王子様の肩越しに表情無く魔狼が呟くと、ハッと息を呑んだ人間は慌てて仕切りの影に身
を隠しました。しばらくしてそっと顔を覗かせましたが、未だ瞬きもせず魔狼が凝視して
いるのを見てとると、またヒッ!と叫んで顔を引っ込めます。

「どうやら正解は一番から三番まで全て網羅していたようですね」

残念賞にはこれをどうぞ、と王子様が飴玉を差し出すと、おもむろに口に含んだ魔狼はガ
キンッとそれを噛み砕き、無言で仕切りに手を掛けました。

「―――全部、全て、一から十まで説明して貰おうか・・・・・・」

「〜〜〜〜〜ッッ」

逆光の中、鈍く光った双眸にしゃがみ込んだ人間が震え上がると、その様子を見守ってい
た王子様の尻尾がゆらり、と揺らめきました。








「―――で? 人間の祭り事に乗じてシャートに術をかけて? それで何をするつもりだっ
 たのかな、テメエは」

「そっ、そそそんなっ、決してやましい気持ちなどこれっぽちも・・・!」

「俺の居ない隙を狙ってか。殺すぞ」

「ひぃぃいいいぃいッ!?」

叩き割られた仕切りに人間が涙目になると、テーブルの上に料理を並べていた王子様が
やんわりと口を挟みました。

「アルフ、弱い者いじめも程ほどに・・・・・。ハーシェルはただ遊びに来て下さっただけですし」

「ハッ、一体何の遊びなんだか」

「今日の祝祭では仮装をするのが一般的なんですよ。ハーシェルは曲がりなりにも高位魔
 術師、仮装も本格的なのです」

「限度っつーモンがあるだろうが!既に仮装でさえ無ェよ!」

「っ!」

当事者である王子様の飄々とした態度に、苛々と魔狼が見慣れぬ白い耳を摘み上げると、
王子様は小さな悲鳴を上げて肩を竦めました。

「ぃ、いた、いたいです。手を離して下さい、アルフ!」

「――あ? わ、悪ィ!」

ぺたんと伏せてしまった耳を魔狼が呆然と見つめていると、床に正座をしていた魔術師が
ぽつりと呟きました。

「・・・・・・・・猫耳は魔族にも効果有り・・・・・・・・」

即座に飛んできたナイフが床に突き刺さりました。






怒った魔狼がさっさと魔術師を叩き出そうとしたので、王子様は魔術師の持ってきたカボ
チャで作ったケーキをお土産に持たせてやりました。それに感動した魔術師が王子様の手
を握り締めると、今度こそ魔術師は魔狼の手によって放り出されてしまったのでした。


「・・・で、何だってそんな格好になったんだ?」

椅子に深く腰掛けた魔狼が胡乱気に見上げると、水色から飛び出した白を揺らして王子様
はにっこりと微笑みました。

「ですから、扉を開けた瞬間に術を受けてしまったんです」

「お前なら打ち消すぐらい出来んだろうが」

「そんな、買い被りすぎですよ。相手は〈灰〉の魔術師、一介の人間如きにはとてもとても」

「一介、の意味を履き違えてるようだな」

ハア、と魔狼は深い溜息をついて足を伸ばしましたが、まるで本物の猫のように足音も立
てず王子様がその横に腰を下ろすと、視線は見慣れぬ異形の部分へと引き寄せられていき
ました。

「何だかんだ言ってお気に召しましたか」

「別に。違和感無ぇなと思っただけだ」

「ふふ。触りたければお好きにどうぞ?」

「さっきの拒否っぷりはドコいった?」

「それは貴方が乱暴にしたからです。普通に触る分には嫌がりはしません」

私も普段好きなだけ撫でてますしねえ、と王子様が尻尾をパタリと鳴らすと、どことなく
決まり悪げに魔狼は王子様の耳へと手を伸ばしました。

「・・・まさか、感覚もあるとは思わなかったんだよ」

悪かったな、と遠慮がちな手つきで柔らかな毛並みを撫で付けると、王子様は気持ち良さ
そうに目を細めてくつりと喉を鳴らしました。














「で、これはいつまで生えてんだ?」

「今日の祝祭が終わるまでです。あくまで仮装ですから」

「・・・へぇ・・・」

「何ならアルフも参加しますか?」

「断る」

「いえいえ、別に仮装しろだなんて言いませんよ。貴方はそのままで十分ですし」

「どういう意味だ?」

「そのままの意味ですが。
 そうではなくて、“悪戯かお菓子か”、と私に問うだけで結構ですよ」

「・・・それで?」

「その返答如何によっては相手を思うがままに」

「それはマジで祝祭なのか?」

「さあ、どうぞ遠慮なく」

「聞けよお前。そんな期待のこもった目で見んなよ。何企んでんだよ」

「失礼な、私はただ純粋に貴方にも祝祭を楽しんで欲しいだけなのに。別に渡すお菓子は
 既に準備万端でどんな効果が現れるか判らない魔法のクッキーだなんて持ってませんよ」

「テメエまてコラ」

んなモン持ってるっつーコトはやっぱお前あの魔術師とグルだったんだな?!

「あれにしちゃ妙に完璧で可笑しいとは思ったんだよお前が一枚噛んでたんじゃねーかチ
クショウ!」 と魔狼が叫び、揺れていた王子様の真っ白な尻尾を握り締めると、一瞬眉を
しかめた王子様は小さく笑って魔狼の耳を指で弾きました。

「・・・一度、貴方の感覚を味わってみたかったんですよ」

何故か種類はちょっと違っちゃいましたけど。

「毛並みに沿って撫でられるのって想像以上に気持ちが良いんですねえ。これからはもっと
 撫でて上げましょうか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

王子様が笑いながら芯の通った滑らかな黒い耳を撫でると、深い深い息を吐いた魔狼は思
いっきり王子様の頭を撫で繰り回しました。



「・・・もうお前の悪戯は十分だ。次はこっちの番だな」

「望むところです」






テーブルの上のプディングは、よく冷めてから美味しく頂かれました。