黒≒黒


「・・・あぁまたですか」

「何が?」

「ほら、そこ」

「?」

王子様がついと指差した先を目で追ってみると、絨毯の隅にこんもりとした黒い毛玉が転
がっているのが目に入りました。

何と言うまでも無く、魔狼の黒い獣毛です。

春も半ばを過ぎた今、冬毛から夏毛に変わろうとする魔狼の体からはたくさんの毛が抜け
落ちていました。それは毛皮を持って生まれた者の宿命であり、王子様がそれを不快に思
ったとしても、魔狼にはどうすることも出来ません。

「・・・・あー、ンだよ、しゃあねえだろ・・・」

魔狼は気まずそうに耳の裏を掻きましたが、王子様はそんな魔狼を穏やかに見やり、ゆっ
くりと毛玉を拾い上げました。

「別に、私は文句を言うつもりなどありませんが。ただちょっと掃除が面倒だなと思うだけで」

「シッカリ言ってんじゃねぇかよ」

「いえいえそんな。むしろとても興味深い現象です」

腹の辺りの獣毛なのか、妙にもふもふとしたそれを指で玩びながら、王子様は楽しそうに
微笑みました。

「ハ、箱入り娘は薄汚い獣の生態なんぞ初めて目にしましたってか?」

「随分卑屈な物言いですね。貴方が薄汚いわけ無いでしょう? 昨日だって、」

「言うな!お前が勝手に入って来たんだろうが!!」

「自分で言ってちゃ世話無いですねえ」

「〜〜〜ッッ!!」

魔狼はギリリと牙を鳴らして体を掻き毟りましたが、 「あはははは、昨日の泡玉が最後の
一つでしたので、最後くらい一緒に楽しみたかったんですよ」 と朗らかに告げられ、自分
の毛が盛大に散った絨毯の上でがくりと首を落としました。


「・・・・・・・・アルフ、」


そのまま魔狼がぐったりと脱力していると、傍に膝をついた王子様が腰を屈めました。
だるそうに目線を上げた魔狼を覗き込むようにして、にっこりと微笑みます。


「そこでひとつ提案があります。ちょっと私に体を預けてはみませんか?」


歌うようにして囁かれたその言葉に、数秒沈黙した魔狼は無言で身を起こしました。



「―――これは一体何の真似ですか、アルフ」

「預けて欲しかったんだろ? 俺の体」

「えぇそうですが、それとこれとは全く違いますよ」

「別に良いだろ、コレで」

「良くありません」

「俺はイイがな、かなり」

むっくりと起き上がった魔狼に合わせて立ち上がろうとした王子様の足元を、魔狼は素早
く大きな尻尾で払いました。驚いた王子様が不安定な姿勢でよろめくと、その胸元を軽く
頭で押して魔狼の昼寝用の大きなクッションの上に押し倒してしまいます。

そして、仰向けになった王子様を押しつぶすようにして寝そべったのでした。


「存分に堪能しろやー?」

重苦しそうに眉を寄せる王子様を見下ろして、ふん、と鼻を鳴らしながら尻尾をパタリと
王子様の足に当てる魔狼。

乱れた水色の髪に鼻先を押し付けながら、王子様が身動き一つ取れないようしっかりと押
さえつけました。


「――やはり人間の言葉を正確に理解するなど魔物には荷が勝ちすぎましたか。すみません、
 無理を言って」

「お前も大概良い度胸してんじゃねーか。よくもまァこの体勢でンなコト言えんな」

「えぇ、えぇ、それはもう今更でしたね。すみません、愚問でした」

「お前こそ俺の話聞いてる?」


魔狼が王子様の両肩に乗せた前足に力を込めると、苦しそうに顔をそむけた王子様はぽつ
りと呟きました。


「・・・・・貴方なら私の意など言わずとも汲んでくれるとばかり・・・。とんだ思い上がりです。
 なんて恥ずかしい」

「・・・・・・・・・・・・」


魔狼はさらされた白い首筋に目を落としながら、ゆらゆらと動かしていた尻尾を王子様の
足にゆるく絡めました。


「・・・・・やはり動物との意思疎通に言葉は必要不可欠、いえ、まずは強固な信頼関係を築く
 ことが必要だったのです。まったく私の怠慢でしたね。これからは鋭意努力しましょう」

「あーあーハイハイお前の視線の先にあるのは『なかよしペットライフ』であって魔族と
 の交流本じゃねえぞー。つーかいつの間にあんなモンどっから持ってきた?!」

「先日新しい本が欲しいなと呟きましたら何故か翌日窓辺に」

「サラッと問題発言かますな。俺の勢力圏内で盗聴たァどういうコトだおい」

「大丈夫、銀のリボンで結ばれていましたので犯人は判っています。以前の贈り物にも同
 様の飾りが」

「他にも貰ってたのか!!?」

「何を言ってるんですか? 貴方だって昨日だけと言わず毎日目にしてるじゃないですか」

「・・・・・・ハァ・・・・?」

「貴方専用の青い波皿。お肌スベスベ桃色泡風呂」

「・・・・・・・・・・・・・・また、またアイツか・・・・・!」

「ええ。本当に良く気の付く素晴らしい友人を持ちましたね」

「パトロンの間違いじゃねえのか・・・」

「私は貴方のヒモです」

「仮にも王族が堂々と言うことかソレが」

「つまりパトロンは貴方」

「・・・・・・別に一方的じゃねえし違ェだろ」

「はい?」

「お前だって俺に色々してんだろっつってんだよ!」

「・・・・・・・・・・・・・それはパトロンを正しく解釈した上での代償行為とし「違ェよ!!!」

言葉を遮った魔狼にベシンと尻尾で叩かれた王子様は、きょとんとした顔で唸る魔狼を見
上げましたが、すぐに魔狼の黒い毛に顔を埋めてしまったので、王子様の顔に浮かんだそ
れはそれはうつくしい微笑みを、魔狼は見ることは出来ませんでした。


「――ふふ」

「・・・・・何だよ、気味悪ィな」

「失礼な―――っくし!」

「・・・・・あ?」

「ひ、っくしッ! ・・・くしゅんッ」

「・・・風邪か?」

「・・・・ぅう、何馬鹿なことを言ってるんですか。毛です。貴方の毛に決まってるでしょう」

「はあ?」

「ほら、早くどいて下さい。そして寝室から櫛を持って来て下さい。今日は私が趣味と実
 益を兼ねて徹底的にやります」

「・・・・そーいうコトか」


のっそりと起き上がった魔狼が体を震わせると、王子様はもう一度大きなくしゃみを零し
ました。










「どこか痒いところはありませんか?」

「あ〜、別に〜・・・」

「――わ、すごい毛の量。体が大きいと大変ですねぇ。でも触り心地は段違いに上がってい
 て最高ですよ」

「んー・・・・」

「・・・・・・眠いんですか?」

「・・・・・・・・ん〜・・・・・」

「・・・・・・・・・アルフ?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・。今人型になったらどこかしらはげていたり」

「しねえよ!!」

「おはようございます。寝るのは構いませんが反対側に移動してからにして下さいね。
 もう足が痺れてかないません」

「断る」

「何ですかそのふてぶてしいまでの即答は」

「いいからさっさとしろって」

「・・・・・・・・・。・・・・・今日だけですよ」